『武辺咄聞書』第21話〜第25話

 

『武辺咄聞書』第21話

21

 欠唇に勇士ありと言事を語る人の云「上杉景勝内川田監物信親いぐち也。家康公に本 田百助正広兔唇。武田信玄の山形三郎兵衛昌景、又福嶋正則家老長尾隼人佐一勝い口な り。何も大剛の士。長尾隼人は元来山路久之丞と言。伊勢神戸下総守友盛の旗下にて高 岡の城主也。父は山路玄蕃と言ふ。北伊勢にて無隠勇兵也。後は福嶋家にて長尾隼人一 万石を領し、安芸の東条の城主となる。古人の云く「隼人は佐々木四郎高綱の後胤也」。 大兵大力にて、十幅壱丈の四目結白母衣一間半宛出したる銀の如意半月を出しに致した るとそ。大坂陣の刻、家康公「此隼人は士の中の人参」と御誉被成。其隼人孫は森内記 長継家に奉公し長尾出羽と言。隼人末子長尾勘兵衛は紀伊大納言頼宣卿に奉公、其子久 三郎相続て紀州に居るといへり。

 

『武辺咄聞書』第22話

22

 小田原落城して後、秀吉公は直に奥州へ御動座被成。其砌鎌倉御見物。鶴か岡八幡宮 へ参詣、白旗の宮へ御参。御戸を開かせ頼朝の御像を見給ひ、秀吉公社檀へ御上り頼朝 木像に向て「微少成る身にて天下を切平け、四海を手の裏に握る事、本朝にては御身と 我也。乍去御身は多田満仲の後胤にて王氏を出て不遠。殊に頼義義家東国の守護人にて、 諸人皆其馴染深し。其上為義義朝猶以関東管領したる故に、頼朝流人と成ても諸人是を 慕ふ故に、義兵を揚るとひとしく関東皆属従し、天下一統手間不入き。我は元卑賎にて、 氏も系図もなき身成るに、ケ様に天下を取たる事、御身より我功勝れり。乍去御身と我 は天下友達なり」とて、頼朝の木像の背中をほと/\と御たゝき被成。誠に濶気なる御 大将なり。

 

『武辺咄聞書』第23話

23

 織田信長御若年の時熟々御分別有るに、尾張は辺土にて京都への手つかひ悪し、何卒 上方筋へ打て出手をひろけ度思召、桶狭間合戦の翌年永禄四年正月に、佯て熊野参詣と 名付け、信長近習只八人にて廻国順礼のことく潜に入洛有て、京都の形勢を窺見給ふに、 公方は尊氏卿より十三代目光源院義輝公の御代也。公方の権威衰へ畠山尾張守高政病死、 其子次郎昭高未幼少也。細川晴元は家臣三好修理大夫長慶か為に摂州芥川に被押込、其 従弟細川氏綱・同藤賢執権職に居ると言へ共、天下は皆三好か侭也。信長思召には「兔 角三好家に便らすしては大功成かたし」と分別有。其時三好は河内国高屋・若江両城に 有。信長密に堺の津へ下り、木津屋と言町人の家を借、三階の蔵座敷へ揚り、二三日逗 留し、畿内西海を見下、様々天下を図り工夫有。木津屋元より信長と言事を不知。信長 の小舅斎藤義龍、美濃の国守也。信長と取合数年を経る。上方へ被登と聞、屈強の兵十 二人潜に遣し、堺の津に付置、信長をねらふ。信長聞付給ひ、則義龍か討手共の旅宿へ 御越被成。討手の者共肝を消し周章騒く。信長主従八人座敷へ上り、太刀の柄に御手を


かけ給ひ、義龍か兵共をはつたと睨み「己等は我をねらはん為に此度付まとひありくと 聞く。言語道断の奴原也。一々成敗せん」と鍔元を甘け怒り給。義龍か兵共震懼、様々 申訳仕る。信長の御眼の光り電のことく、たゞ鬼神に出合たる心地して、悉く美濃へ北 帰りける。信長は夫より河内国高屋の城へ行、奏者を頼被申入は「某儀は織田上総介信 長にて候。尾張の本領を以三好家へ進上可仕候。其代地を五畿内にて可賜候。左候はゝ 譜代の士卒五千余にて三好殿の御先手を可仕」と望給ふ。三好長慶聞て「是は兼て聞伝 へたる勇士也。其所望に応せん」と宣ひしを、松山松謙斎・松永弾正等諌て曰「信長去 年五月桶狭間にて今川義元を打取たる手柄、惣て其行跡を聞に常人にあらず。必三好家 の禍の根に可成」と支る故、事不調して、信長空敷尾張へ御帰り也。

  私云、名を争ふ者は朝に於てす、利を争ふ者は市に於てす。誠に信長公上方へ打出 給わんとの御心入、難有事にこそ。

 

『武辺咄聞書』第24話

24

 高麗陣中にて日本名護屋へ注進状を認、諸大将連判を居らるゝ。加藤清正の判形くと き判にて手間入る。福嶋正則の云く「清正判形六ケ敷、早く居る事不成、いつも手間入。 惣て判は無造作なるかよし。病気大事に成、遺言状に判居るに、くとき判は居る事成間 敷」と被申。清正聞もあへす「我は戦場にて田のを枕にして死んと思ふ故に、病死の期 に臨て遺言状をかく事思寄なし。くとき判不苦」と被謂しと也。

 

『武辺咄聞書』第25話

25

 判団右衛門直之は元来遠州横須賀衆にて、須田治郎左衛門と云。浪人して上方へ登り、 時雨左之助と名乗、加藤左馬助嘉明へ歩小姓に出る。手柄度々重り、後は千石取、判団 右衛門と号し、鉄砲大将に成たり。関ケ原御陣の砌、左馬助差図の場より先へ足軽を張 出し、左馬助気に違「己は一代将帥の職は勤得べからず」と被叱を不足に思ひ、伊予松 山より立退時、一句の詩を書院の大床に張付紙に書置。

  逐不留江南野水  高飛天地一閑鴎

嘉明此詩を見て無興して奉公天下を被構と云共、金吾中納言秀秋卿へ被召出。惣て秀秋 へ被召出者は諸大名構ふ事不成故、団右衛門千石取て鉄砲大将にて居たり。慶長七年十 月十八日秀秋卿逝去の後、尾張の薩摩守忠吉卿へ被召出。是又御所様御子の事なれは、左 馬助構ふ事不成。慶長十二年三月五日忠吉卿逝去故、団右衛門浪人して福嶋正則へ出る。 千石取馬廻り也。五年目尾州名護屋御城普請の刻、左馬助直に正則へ断構被申故、団右 衛門浪人して道心者になり、鉄牛と名を付、妙心寺大龍和尚の会下に居て、洛中洛外を 衣鉢の上に刀脇差をさして鉢を開く。諸人憐て又は貴事不斜。或時中立売の富家の方へ 大龍和尚を始一堂供養の事あり。斎過る迄団右衛門入道遅参也。斎過て来るを和尚殊外 怒り「何とて鉄牛は遅く参候哉」と有り。鉄牛、座具を布て答云。

  一鞭遅到勿肯怒  君駕大龍我鉄牛

と。和尚機嫌直り、一座感しけると也。

 

 

 

最初の5話(第1話〜第5話)にもどる

前の5話(第16話〜第20話)にもどる

次の話(第26話〜第30話)にすすむ

 

『武辺咄聞書』校訂本文メニューにもどる

武辺咄メニューにもどる

はじめにもどる

武辺咄著書を見る

武辺咄論文を見る

 

 

菊池真一

URL  http://www.konan-wu.ac.jp/~kikuchi/

Eメール kikuchi@konan-wu.ac.jp

又は

kikushin@kikuchi.dddd.ne.jp