『武辺咄聞書』第26話〜第30話

 

『武辺咄聞書』第26話

26

 老人の物語に、

我其昔芸州広嶋に在候時、福嶋伊与守宅の書院の雪隠に化物有。夜厠に行者をは必臀を 撫る。其手毛生て爪長しと言。暮ては其厠へ行者なし。殊に座敷より弐拾五六間も遠ふ して植篭の内也。或夜伊与守方へ武藤修理・坂井主膳・大橋茂右衛門・牧主馬・村上彦 右衛門なと夜咄に行。判団右衛門も行。夜半前に団右衛門厠へ行。亭主心得て小姓に手 燭持せ、供に遣。団右衛門は何心なく手燭請取、厠へ行、用を達する。厠の上に二抱程 成る大松に蔦這、茂りたる梢は十二三間も高し。其梢より何共不知蔦の葉鳴りさはき物 の伝下る音して厠の屋ねへ飛下る。其足音大男なとの足音也。団右衛門吃と驚思ふに 「内々世間に言習はす化物ならん」と思ひ居たるに、厠の屋ねより内を差のそく。其面朱 をぬりたることく、眼の光鏡のことし。牙を噛出しさなから鬼面に似たり。団右衛門少 も不騒、はつたと睨返す。件の化物面を引込て不見。其侭厠の下より毛の生たる手にて 団右衛門か尻を撫る。「心得たり」と捕へんとするに、手を引又屋ねよりのそく。又睨た れは又面を引込とひとしく厠の下より尻を撫るを、其手をひしと捕へ内へ引込に、厠の 戸破れ何とは不知内へ引込。団右衛門得たりやおふと引組、上を下へと返す。手燭も踏 消組合。書院の縁に残たる拾五六歳の小姓、縁より飛下走り行。其音居間へ聞るに付、 皆々手燭持走り付。小姓は化物の足をとらへ居たり。団右衛門は血に染り、化物を脇差 にて刺通したるを見れは大き成猿也。「扨こそ年比の化物は此奴にて有し」と団右衛門勇 力を広嶋にて称美せしと也。

 

『武辺咄聞書』第27話

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 大坂冬御陣に、蜂須賀阿波守至鎮陣へ判団右衛門夜討を致し、阿波守家老中村右近を 始屈強の士共四人討取、雑兵数十人討捨に致。団右衛門は本町橋の上に将机に腰をかけ、 角取紙の馬験にて士卒を下知せし也。御扱に成、敵味方内外出会の時、団右衛門宿陣は 今橋の詰より廿間計南也。幅一尺長二尺計の札に「判団右衛門」と大文字に書て宿札を 打つ。皆々見て「扨も大成宿札かな」と云。団右衛門か云く「古主加藤左馬介、我等を 成敗仕度と被謂を聞て、討手を請ん為に如此」と笑ふ。寄手数十万の内、団右衛門古傍 輩不残見舞音信する。其内水野日向守勝成家人黒川三郎右衛門見廻に来る。団右衛門云 「我旧き知音林半右衛門は必見廻に可来者なるか、于今音信なし。但し想ふに若此度は当 表へ出陣せさるか。不審也」と云。黒川聞て「林半右衛門は唯今池田武蔵守利隆に奉公 して、天満口に有」と云。団右衛門、則黒川を使として林か方へ申送は「古傍輩皆訪来 ませるに、御身終に音信なし、其心いかん」と云遣す。林返事に「黒川殿を使として御 尋忝存候。我ら其元へ無音の子細は、其方若年の時より申合るは『互に何程大名に成る とも、自身鑓を取、太刀を不致は勇士の本意に非』と僉議せしに、此度団右衛門夜討の 体を聞に、其身手を不下、本町橋の上に将机に腰を懸け白旄を取しと也。団右衛門年は 四拾八、勇力の衰る時分にあらす。武辺に年を寄、勿体を付たる所、聞もいやなれは、使


も不遣」と返事する。黒川此旨を団右衛門に云時、団右衛門涙をうかめ「林半右衛門か 心中尤至極也。乍去此度夜討に大将の仕形をしたるは別の義にあらす。関ケ原陣に足軽 備を張出し『出過たる』とて古主左馬助以外に怒り、『己は一代人数を引廻す大将には得 成間敷』と叱しを無念に思ひ、一生の中一度麾を取、将帥の功を左馬助に見せ度と念願 せしにより、夜討の時も手の痒きを忍て将机にて麾を取し也。最早望足る上は、重ての 事は太刀は目釘のこたへる迄、鑓は端食の抜る迄働て、討死して林に見せん」と云しか、 果して翌年四月廿九日泉州樫井合戦に晴なる討死して名を雲井に揚たり。団右衛門は其 刻田子助左衛門・亀田大隅・八木新左衛門(浅井左衛門か家人)・横井平左衛門(上田宗 古か家人)なとゝ戦しか、田子か放つ矢に中り深手負候得共、田子か弓の弦を団右衛門 十文字の鎌にてかける。然所へ八木新左衛門掛り候。団右衛門手負小家の壁に倚かゝり、 八木と鑓組、そこにて討死し、首を八木に被取。其組衆死骸を埋たる塚、樫井町の北の 端に有しを、紀伊国衆に小笠原作右衛門と言人、団右衛門親類にて其塚に五輪を建る。于 今五輪有故、往来心有人は馬乗物より下て是を拝して通る也。

 

『武辺咄聞書』第28話

28

 板倉伊賀守勝重の物語に、

紀伊大納言頼宣卿御母儀お万との、駿河にて判団右衛門事を聞及ひ給ひ「御子達に宝物 太刀刀を進るは常の事也。大将の宝と言ふは名有る勇士也。団右衛門は古主に被構奉公 不成共、世の中若何事も出来候は能士を壱人にてもいとおしき御子へは進度物なれは、団 右衛門を常陸介殿御家人に可被成」とて、御鏡台金とて五百両宛毎年御拝領の金を、弐 百両宛団右衛門に御合力有たると也。家康公に御奉公被成、頼宣卿を生給ふ程の御人な れは、女儀にても如此の御心入也。

 

『武辺咄聞書』第29話

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 信長公天下を治給ふ砌、三好長慶の台所人坪内某を生捕る。元来庖丁人の事なれは誅 戮にも不及、放囚人にて四五年も居。信長公出頭人菅谷九右衛門へ、御賄頭の市原五右 衛門申は「囚人の坪内は三好家の料理人にて、鶴鯉の庖丁は不及申、七五三の饗の膳、何 にても公方家の法式を不存と云事なし。其上子供弐人は皆御台所にて被召仕候なれは、最 早不苦事に存候。御料理人に致候ては如何」と申。菅谷則申上る。信長公「尤也。料理 させ聞し召、其出来不出来にて其訳を可被仰付」とて、其晩の御料理を坪内に被仰付。坪 内畏て御料理を仕立、不残其身鬼取して御膳を上る。菅谷罷出る。信長公料理御上り、以 の外御気色替り「さん/\の塩梅。水くさくして中々沙汰の限也。扨々悪き次第也。其 坪内め首を刎よ」と御怒り被成。其段申聞せ候へは、坪内承り「左候はゝ、明朝の御料 理を今一度仕、夫にても御意に不叶候はゝ切腹可仕」と訟る。菅谷此旨申上る。暫く御 思案有て「左あらは明朝の料理可申付」と被仰出。坪内翌朝又々御料理を仕立上るに、 中々塩梅風味の能事、兔角不被申。信長御感不斜、坪内を御家人に被召出由被仰付。其 段申聞候へは、坪内畏て「昨晩の御膳の塩梅は御意に不叶筈にて候。三好家の塩梅にて 仕立候。今日の塩梅は第三番通の塩梅に仕立、御意に入筈にて候。三好家は筑前守長輝・


下総守長秀・薩摩守長基・修理大夫長慶・左京大夫義継五代、公方家の御仕置を預り、万 事高上に存る家風にて、料理なとも至て花車なる事共故、其塩梅昨晩御意に不入候。今 朝の塩梅は田舎風に仕立候故、御意に入候」といふ。聞人坪内か言葉を不感はなし。「信 長公に恥辱を与へまいらせし」と皆人笑ひけるとなん。

 

『武辺咄聞書』第30話

30

濃州軽海合戦に信長御勝被成、斎藤龍興か家老稲葉又右衛門と云大剛の士を討取給ふ。 但し池田勝三郎恒興と佐々内蔵介成政と相討也。信長実検被成帳に御付被成時、池田・ 佐々「相討にてなし」と堅く訴る。佐々は「池田壱人か高名」と申上る。池田は「佐々 一人か高名」と申上、相論不決。大抵は人の取たる首も我取たると申は世の人情也。是 に引かへ互に譲合て埒不明、数刻に至る。何とやらん見事過て信長御機嫌悪くなる。出 頭人に会下僧鴻蔵主といふ名僧有。金言を申故異名に金言鴻蔵主と云。其僧信長公機嫌 悪敷を見付、罷出「此首池田か取たるにても無御座、又佐々か取たるにても無御座候。両 人の申上る所尤」と申上る。信長公「扨両人か内に壱人不取は、誰か取たる」と御不審 也。鴻蔵主申上るは「何事もなく、爪のことく首の臍落にて御座候」と申上る。御前の 小姓衆咄と笑ふ。信長公も御機嫌直りしと也。

 

 

 

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菊池真一

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