『武辺咄聞書』第56話から第60話

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 松平右衛門大夫正久物語に、

大坂冬御陣に二城御城の書院にて諸大名出仕の時、家康公は畠山入庵を召、謙信以来上 杉家の武者推の次第御尋被成。入庵不憚一々申上る。家康公上意に「上杉家の軍法左様 に聞召被及たり。尤成事共」と深く御感被成。諸大名頭を地に付、列座の中にて、入庵 小き入道にて罷出、不憚段々を申上候。大音にてかう上爽也。竪板に水を流すかことし。 一座に諸大名皆武勇の人々なれ共、誰も皆詞を出す者もなく、何も深く被感候体也。「誠 に冥加成る入庵也」と取沙汰せしと也。入庵は一代十八度の手柄有と聞く。

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 水野日向守勝成物語に「大坂落城の砌、茶臼山御陣へ参、御前に罷在候節、畠山入庵 御前へ罷出『思召侭の御事、目出度奉存候』旨申上候へは、家康公入庵か手を御取被成 御機嫌にて『入庵又勝た』との御意にて、中々御悦喜也。定て関ケ原大坂との事両度の 御勝の儀を被仰し物ならん」と物語也。

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 大坂御陣五月七日合戦不初前に、秀忠公は惣軍を御巡見被成。黒田筑前守長政・加藤 左馬助嘉明は態と無人にて今度御供也。即本多大隅守忠純備に合属也。七日の昼前に大 軍満々と備たる中にて、誰いふともなく「将軍様御成」と罵りて立騒く。長政・嘉明「い さ御目見せん」とて道筋へ出たれは、秀忠公御一騎にて黒き御鎧山鳥の尾の御羽織、御 冑は不召桜野と号する十寸三分の御馬に孔雀の尾馬鎧かけて召、角頭巾の御冑は御持せ 被成、御傍に十文字鑓壱本御長刀計、其外歩侍弐拾人計ばら/\に御供也。長政・嘉明 罷在を御覧し付られ、両人方へ御馬を乗かけ給ふと、両人御馬の左右の口に取付「昨日 は敵足長に罷出候へ共、打洩し城へ引込候事残多奉存候処に、今日又敵たぶ/\と人数 を出し候事、御冥理に被為叶候御事にて御座候。今日敵不残打亡可申候。誠に思召侭の 御合戦にて御座候」と被申上候へは、秀忠公御機嫌能「追付/\」との上意にて、扨城 の方へ御通り被成候。「長政・嘉明少し御供被申残候得は残り候へ」との上意にて、両人 は備へ被戻候。其御跡より本多佐渡守正信渋帷子にて具足は不着甲計着て、大団扇にて 蝿を払ひ屋根のなき行駄乗物に乗て御供也。御通過て跡にて長政、嘉明に向て「将軍様 常々とは違、御軽き事共」と被申候へは、左馬助「いかにも/\、惣して此様成事に御 軽きは御家の癖也」と挨拶也。筑前守深く感し「能御癖也」と被申候。是は秀忠公常々 は御威光重く御行儀正しけれ共、軍陣にては万事手軽く被遊候と奉誉如斯。

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 後藤又兵衛政次は黒田如水の家人後藤孫兵衛基次か子也。豊前国へ如水被封ける時分、 日隈の城に一揆起りしを、如水父子被攻候所、如法寺種光・緒形三郎維忠後詰に出る。長 政は此両軍と駆合せ軍に打勝、如法寺・緒形共に討捕、茅切山迄発向せられ、広津に陣 を居へ、鬼木掃部と観音原にて一戦、鬼木を打取、犬丸城を攻、緒形・伊藤・田氏・中 尾等を打果し、加具・福嶋を攻取、国中大半平けられ候へ共、城井谷の城井弥三郎鎮房 一人不随。其勇略又は剛兵成事を如水知て、長政を堅く戒て城井を攻させ不被申候。天


正七年八月廿日に長政手勢計にて城井へ仕懸け、さん/\に仕負給ひ、漸々中津城へ被 取籠候。如水大に怒り立腹事々しかりけれは、長政も迷惑して髻を払ひ寺へ引込被居候。 供致したる輩皆髻を払ひ逼塞仕る。然るに後藤又兵衛壱人は髻をも不払、月代そり立中々 何心なき体にて城へ出廻る。黒田惣兵衛囁けるは「貴殿も髻を払ひ蟄居可然」と異見す る。又兵衛聞て「それは何事に依て如此」と問ふ。「城井との一戦に負給ふを口惜とて、 長政君已に髻を払ひ御山居、下々不残髻を払ひ蟄居仕候に、其方壱人何気もなき体にて 経廻る事、世の誹り不可遁」と異見する。又兵衛から/\と笑ひ「凡勝も負も軍の習也。 今負たらは又重ての戦に勝やうにして可然也。一度負たりとて大に気を屈する事、士の 器量といわんや。軍に負る度に頭を剃は士の髪の長き事は永代あるまし」と高笑する。如 水聞給ひて、子息長政を早々赦免、山居したる士共不残呼出し給ふ。惣て又兵衛か器量 は常の人にあらさりし也。

60

城井谷の合戦の時、黒田長政人数大崩して逃る。長政も深田へ馬を乗込、鞍爪迄落入、 何共無為方。早左右にては敵ひた/\と追付て、味方被討もの多し。後藤又兵衛政次も き付の首一つ取て左の手に手縄に持添、黒母衣に月毛馬に乗、真一文字に乗切て長政の 深田へ乗込、居給ふ脇を逃通る。長政見付て「後藤又兵衛にてはなきか。何国へ逃るそ。 返せ/\」と罵り給ふ。後藤吃と顧て「何とて御馬御捨御引不被成そ。ケ様に崩立たる 人数か何と成物にて候哉。早々御退被成候よ」と云捨て駆通る。長政の馬は大龍寺とて 九州に無隠名馬なれは、敵の手へ渡しては口惜き事に被思捨兼給ふ所へ、菅和泉守政利 乗来り、長政を見付「私の馬を召候て、早々御退被成よ」とて、飛下て長政を己か馬に 乗せ参らする。長政は和泉か馬に乗て退様に被申候は「何とそ致、其馬を沼より上て来 り候へ」と云捨て退給ふ。和泉「心得申候。御心安思召候へ。御馬は私上可申」とて跡 に残り、様々牽上見れ共、大馬にて鞍爪まて落入たれは、中々五人七人してもあがりか たし。況や和泉壱人にて不叶故、鐙を片し切候て持て帰り「随分と存候へ共、御馬上り 不申候故、鐙を取て参候」と云。皆々承り「尤成る仕方能念也。馬を敵に不被奪との証 拠に鐙を取来れり」と諸人感しあへり。

 

 

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菊池真一

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