『武辺咄聞書』第91話〜95話

91

 永禄三年三月上杉謙信政虎は鎌倉へ入給ひ、鶴か岡神前にて管領に任し、近衛関白前 久公御下向、公方義輝公よりは大和兵部少輔上使たり。其時関東八州の大名小名列座也。 其時千葉助国胤と小山政種と座の諍論有。謙信聞給ひ「千葉殿は関八州の諸士の上たる へし。又小山殿は関八州の諸士の不可為下」と裁判にて事静り、「謙信当意即妙の才智也」 と天下にて誉ると也。

92

 謙信上洛有し時人数三千也。松永弾正内意にて三好長慶を諌洛中には宿らせす、大津 に居る。其時公方義輝公の一字を被下、謙信若き時は景虎と云上杉憲政の譲を得て政虎 と号、此度輝虎と号。幕の紋一に菊桐二におもたか三に瓜の紋御免。又網代輿と文の裏 書御免にて管領職を賜り、永禄三年五月の事也。其年中は在京、堺住吉天王寺洛中洛外 宇治南都迄見物也。公方家の三好長慶より馳走也。其年中に三好・松永か私の威を震ひ 公方を蔑如にするを見て、其年十二月に謙信御暇被下越後へ被帰時、公方義輝公へ密に 被申上候は「三好・松永か謀反の相顕れ見へ候。若逆心の気色候はゝ早々御内書可被下 候。輝虎馳上り三好・松永を誅伐可仕」と被申上。義輝公御感にて堅御約束有。中三年 有て永禄七年七月四日に三好長慶河州若江にて逝去候へ共、松永、三好一類と相談し堅 隠密す。翌年春に成長慶逝去の事公方御耳に達す。義輝公大和兵部御使にて越後へ被遣 「長慶死去候間、謙信早々上洛仕、三好松永退治可仕」と御内書也。輝虎上洛の支度仕所、 三好義継・松永岩成等是を聞つけ「謙信上洛しては不可叶、少も早く本意を達せよ」と て五月十九日に御所へ押寄、義輝公を奉討と云々。

93

 三好長慶は光源院義輝公の執権として天下の仕置す。其弟に三好豊前守之長、後に実 休と云。其弟を安宅木摂津守冬康と云。何れも四国の守護細川讃岐守持隆の家人なり。持 隆は尊氏将軍の御代細川刑部大輔頼春より九代の孫、則阿波国勝瑞に在城也。然るに天 文廿一年八月十九日に三好実休逆心し坂東郡見性寺にて持隆生害也。御子真幸幼少故、万 事三好か侭にて、剰主君持隆の後室を実休妻女として悪逆頻甚し。永禄五年の春京都に ては佐々木義胤逆心し三万余りにて京へ攻入しかは、公方義輝公も八幡山へ楯籠。三好 長慶も城を河内の飯盛に構籠。佐々木か先手蒲生下野守定秀八幡山を攻る。伊勢の北畠 源中納言具教・畠山尾張守高政も佐々木一味なり。畠山高政は紀州湯浅より打立、根来 法師を催し泉州へ打出る。泉州には長慶弟十河一存・安宅木冬康・三好刑部・同左馬助・ 岩城主税・早淵頼母等岸和田に籠城して畠山高政を防。三好実休は一万余にて阿波より 渡海し、岸和田の東久米田寺の山に陣を取。久米田寺と申は聖武天皇の御願、行基菩薩 の開基也。此寺建立の奉行は橘諸兄公とかや。則此山に諸兄公の墓有。三好勢此山に陣 を取、諸兄公の墓を掘崩し、石の唐櫃を取出し、其跡を不浄所に用ひしに、心有人は是 を見て「諸兄公は清友御父清友(ママ)の御息女檀林皇后と奉申、忝も嵯峨天皇の御母


也。かゝる無止事御事をか様の仕方、行末いかゝ」とそつぶやぎ(ママ)ける。陣中に て実休夢想の歌に、

  草枯す霜また今朝の日に消て因果は頓てめくり来にけり

実休心にかゝりしかは岸和田の城に居安宅木摂津守冬康に語りけれは、冬康其歌を翻案 して、

  因果とははるか車の輪の外にめくりも遠き武蔵のゝ原

実休是に慰みけるが、家人共申けるは「主君持隆を奉討、剰後室を実休妻とせられし。其 報ひは難遁」とそ歎きける。三月五日の朝畠山高政は手勢一万を二手に分、檜木山に一 手隠し伏残る人数を額原に出し馳引挑戦。実休久米田山より見下し「天の与ふる所也」と て手勢六千にて打て掛り、額原へ進みける。高政か先手湯川直光・玉置弾正・遊佐新五 郎等掛合戦しか共、実休真先に進て戦しかは、畠山先手切被立引退く。実休勝に乗逃を 追て進けるに、檜木山より高政か前備根来法師共打て出、筒先を揃へ鉄砲を打掛る事雨 の如し。実休か先手藤原左吉・一ノ宮長門・西条壱岐守等被打立不進得然所へ、高政か 兵三木内匠「一番鑓」と名乗て鑓を入けれは、根来泉職坊荒土佐東坂の岡大林等続て鑓 を入けるに、実休先手一度に●と崩かゝる。実休は額原の松二三本有所に床机に腰をか け旄をふり「蓬、返し合せよ。実休是に有」と身を揉んで下知しけれは、崩かゝる士卒 共取て返し防戦事七八度、残少に被討しか共、実休は猶不退将机に腰を懸け口より沫を 吐、身を揉で下知しけれは、軍兵共取て返し火花を散し戦しかは、尸は戦場に充満、過 半討死せし所へ、根来法師往来左京、三尺壱寸の太刀を真向に指かさし実休に切てかゝ る。実休是を見て「推参也」と云まゝに光忠の太刀を以て抜打に払ひけるに、左京か臑 当十王頭を半は切て膝口に切付たり。左京ひるます立かゝりさん/\に戦ひ、終に実休 を切伏、首を取。実休齢三拾七とかや。夫より三好勢敗軍し、岸和田の城へ逃も有、右 往左往の分野也。実休小姓共思ひ/\に戦しかは、実休か討死を見て皆々死骸の前に来 り、物具脱捨十八歳より十四五歳計の小姓十一人迄追腹切たりけり。雪の肌も血に塗目 も当られぬ次第也。畠山高政は勝に乗て岸和田へは不掛、直に河内国へ推入、高屋城を 攻取て実休か兄三好長慶か籠し飯盛城を取囲む。安宅木冬康是を聞て兄長慶の急を救ひ、 又実休か仇を報せんとて、五月十九日岸和田の城より天王寺へ詰ける。畠山是を聞て飯 盛の城には押へを置、取て返し冬康にそ向ける。同廿日畠山高政、安宅木冬康と葛井寺 の南葉川野にて挑戦。高政か兵安田八郎一番鑓を合し合戦数度に及ふ所に、冬康旗本を 以て高政か旗本へ切て掛りしに、高政か一老臣湯川直光討死す。高政惣敗軍に成て河内 の烏帽子形の城長野庄をさして落ける。冬康勝に乗て二千余追打にして其首泉州額原へ 持帰り実休か墓の向に梟て其魂の恨を晴しける。実休墓は額村の道の側に有。岸和田よ り一里計墓の上に一木の松有。雨降天陰る夜は実休か墓の上に火出て松に止るとそ。実 休石塔は額村の艮一里大覚山妙泉寺と云寺に有。是は堺妙国寺日光上人年来入魂有しに より実休石塔を以て妙国寺一派の妙泉寺に被立ける。石塔の銘も日光上人の筆也。安宅 木冬康は兄実休の吊合戦を遂け岸和田へ帰陣せしか、世中君臣父子兄弟も互に欲にひか れ闘諍兵戦に及を見てかくなん、

  古をしるせる文の跡もうしさらすはくたる世とはしらしを

実休は希代の物数奇にて天下の珍物を求め所持す。正宗の剃刀、貞宗の小刀、定家・為 家両筆一紙の七首の和歌等、其外珍物不知数。信長公天下を治給ふ比、光忠の刀を好給


ひ、廿五腰迄集め給ふ。或時江州安土城へ堺衆御目見に参候に、信長公殿守へ召て御茶 被下。其内に木津屋と云町人、堺一番の好事の者と聞召、「光忠廿五腰の道具みせらるへ し」と仰けるは「此内実休か光忠有。何れかそれにて候」と御尋有。木津屋則廿五腰の 光忠を不残見て一腰取のけ「是そ実休の光忠にて候はん」と申上るに、果してそれなり。 信長公御手を拍給ひ「何とて見知たる」と御尋有しに、木津や承り「此光忠の腰物は切 先三頭に少こほれ有之候。伝承候に久米田にて実休最期の時根来左京か臑当を払ひしに 少刃かけたると承候。夫にて如此と申上候」と云。信長公御機嫌成しとかや。

94

 上杉謙信の太刀に赤小豆粥(鎌倉行光三尺一寸川中嶋にて信玄と太刀打の時の太刀 也)・竹股兼光・谷切(来国俊)と云て三腰有。竹股兼光は元来越後老津の百姓持之、山 中を通るに雷頻りに鳴掛しかは、百姓刀を抜切先を頭の上にさし上目をふさき居る。少 時して天晴しかはかの刀を見るに、切先より一尺計血に成。百姓の頭も衣類も血に成て 有。雷落かゝりて此刃に中りて又天へ上りし事無疑。大豆を袋に入市より帰しに、袋の 破れより一粒宛大豆こほれ鞘に中りては二つ宛に切れたり。是を見るにさやわれて刀の 刃少出たり。不思議なる霊剣也とて、竹股三河守所持の後には輝虎耳に入、則謙信の指 料と成たり。弘治二年三月廿五夜二度目の川中嶋合戦の時、信玄方輪形月平大夫と云者 一両筒の鉄砲を持構居たる。謙信乗懸り彼竹股兼光にて切伏られ、首は宇佐美駿河守定 行か郎等塚田伝内打取たり。夜明て甲州衆輪形月か死骸を見るに、本末二ケ所深手有。皆 鎧かけて切先はつれに切付たる跡也。持たる一両筒の鉄砲を二の見当の上を蓮に切落し て筒先と二つに成たり。見る者不審し「是は何にて切たるそ」と怪みける。定て謙信彼 竹股兼光にて切給ひつらん。夜中なれは見たる人なし。此刀景勝代に京へ上し拵られし。 一年程にて其刀拵出来候て越後へ戻る。景勝家老直江山城守・本庄越前守重長其外宿老 共呼寄彼刀を見せられ「流石都の水にて研たれは見事に出来てさなから新身の如し」と 被誉。元の持主竹股三河守此刀を見て「此御腰物は似せ物にて被替候」と申。景勝様々 吟味せられしに、三河守云「彼刀脛巾より一寸五歩上に鎬馬の尾一筋程の穴あり。さし 面より指裏へ通りたるす穴有。此穴我ならては不存」と申上る。景勝合点して三河守を 京へ上し何となく他国の人に作り立、備前兼光の弐尺八寸より三尺迄の売刀を尋しに、果 して清水の南坂より持来る。件の竹股兼光の正真也。此段を奉行石田治部少輔へ訴けれ は、彼似せ物致取替候科人十三人悉く顕れて日の岡に磔に掛る。扨かの竹股兼光を越後 へ持返り、景勝前にて件のしのきのす穴へ馬の尾を通し結て見せ申に付、景勝を始諸人 希代の事と感しける。此旨秀吉公の達上聞、景勝へ有御所望。御道具に聚楽へ上る。大 坂落城の砌牢人取て和泉河内の間へ落行申たりとのさたに付、秀忠将軍家さま/\御尋 「若持出輩あらは黄金三百枚可被下」と被仰出候へ共、終に不出となん。

95

 伏見にて越前黄門秀康卿御屋舗へお国と云歌舞妓女召寄、かぶきを踊らせ御見物有。水 晶の珠数をゑりにかけて舞たるを御覧、「水精は見くるし」とて御具足の上に被掛珊瑚珠 の珠子を被下候。おくにか舞を御覧、御落涙有て御意には「天下に幾千万の女あれ共、一 人の女と天下に被呼は此女也。我は天下一人の男と成事不叶。あの女にさへ劣りたるは


無念也」と被仰けると也。

 

 

 

前の5話(第86話〜第90話)にもどる

 次の5話(第96話〜第100話)にすすむ

 

『武辺咄聞書』校訂本文メニューにもどる

武辺咄メニューにもどる

はじめにもどる

武辺咄著書を見る

武辺咄論文を見る

 

 

菊池真一

URL  http://www.konan-wu.ac.jp/~kikuchi/

Eメール kikuchi@konan-wu.ac.jp

又は

kikushin@kikuchi.dddd.ne.jp