|
「このよがくもん」から
素読だけなら何事もない、ただ楽しかったという想い出だけでしかないが、先生はあるとき父と妙な相談をしてしまい、それは実に愉快なものを永久に残してくれたのである。子供たちに浅草教育をしようというのである。横尾先生、日曜ともなれば十時頃から誘いに現われる。十徳を著込み頭巾をいただき、左手に信玄袋、右手に青貝ずりの三尺ほどな杖をつき、その杖には御丁寧にも色褪せたる紅絹が目標にと、ふわふわ結びつけてある。この杖を振りあげたら、そこが学問のしどころだと思えという。きょうだいは恐れをなしたが、はじまる相手じゃない。 その頃うちは向島に住んでいたから、浅草へ出るのは竹屋の渡しによるか、一銭蒸気に乗るか、人力か歩くかということになる。蒸気に乗る。墨壺屋のじいさんと一緒にいるのは、正直のところ余りどっと(ママ)しないから、私達は離れて席を取る。じいさん、きょろきょろしているうちに、やがていやな風体の女ががやがや騒いでいるそばへ席を取って、例の青貝ずりをはでに振りまわしている。やむを得ない。が、二人とも何が学問のしどころなのかわからない。吾妻橋に著くとじいさんは、わかったかと聞く。「あいらあ地獄でさ、おもしろいことを話してたのに惜しいことしましたなあ」と笑った。きょうだいは、はじめて学問のしどころを悟った。 神谷バー、電気ブラン、きんつば、雷おこし。おこしの原料は知ってるか、はじけ豆屋のねえさんの給料はいくらだ、玉乗り曲芸の一寸法師の年齢はいくつだ。伊勢勘のおもちゃ、「このすが凧をよっく御覧なさい、どんなに小さかろうとも骨は巻き骨、ああいい細工だねえ」と詠歎し、私たちはただぼうっとした。鮨屋横町で昼をすませる。鮨をたべるのまで学問だ。ああやっちゃいけない、こうやっちゃ悪い、うまいとも恥かしいとも云っていられない。金車亭へ行く。混んでいる。その中をじいさんは、「御免よ、御免よ」とことわりながら、人のあたっている火鉢なんか跨いで行く。あとに続く私達はじろじろ見られるし、ほんとにやっとの思いで席に著いた。すわると、とたんに高座にいた人が、「御当今教育が発達して、葡萄茶袴に金ボタン、御規則通りの教育ばかりじゃ人間というものはできない。そこで種のちがうお嬢さん坊ちゃんが寄席へ来る。こりゃしかしよっぽど話のわかった親御さんだ」と云った。じいさんは、あたりかまわず大いに笑っている。私は、くそったれ奴とおこった。 それから、安来節と看板の出ているところへ行った。いなせのような田舎くさいような扮装の男が恥かしいほど、「いらっしゃい、へいいらっしゃい」と云った。場内は暗く舞台だけ明るく、ここも人が一杯だった。きょうだいは引率者の姿を見失った。困っていると、かぶりつきの処に例の杖がにょっきり出て、赤いきれがひらめいている。二人はうしろの手すりにもたれて、うんざりした。ついて来ないとさとるとじいさんは、「坊ちゃんどうしたあ」とわめき出した。観念の眼をあけて舞台を見る私達をしたがえて、じいさんは専ら満足の様子で、だんだんと興が乗って来るらしく自分も一緒になって、「あらえっさっさ」と囃す、「美人連々々々」と手をたたく。舞台では赤い腰巻のあねさん冠りの美人連が踊っている。そのうち、一人が列を離れて舞台ばなに来た。見物は凄く陽気に騒ぐ。あっという間に赤い縮緬は舞いあがり舞いさがり、白い丘陵のまぼろしは眼に消え残ったまま幕は降り、怒涛のような拍手に場内は明るくなった。私と弟と二人だけがへこたれきっていた。恐ろしい学問であった。 疲れて帰って、父に報告した。「おまえ、講釈は何を聞いて来た。」松平又七郎小牧山の初陣というのだったと、うろ覚えをむちゃくちゃにやる。「おもしろかったか。」「おもしろかった。」「やって見ろ。」おもしろかったと云いながら、私は何も覚えていなかった。驚いたことには、困っている私を尻目にかけて父が、ずいずいのんのんと講釈師の通りにやりだした。じいさんは「今度は色物へお連れします」と云うし、父も「あれも一ト畠おもしろ味があるものだから行って来い」とすましている。安来節の話をすると、「銭太鼓を見たか」と来る。「あした糀町の叔母のところへ行って、銭太鼓はいかなる階級に属する楽器か聞いて来い、そこが勉強だ」という。じいさんの帰ったあとで、私は恐る恐る、以後えっさっさは御免蒙りたいと申し出た。そして是非にも御免蒙りたいために、じいさんがかぶりつきで美人連と云って喜ぶ様子を誇張して訴えたが、父は、「ああしゃれ者だ」と云って笑った。それから何度か浅草学校へ行った。 |