桂米朝『一芸一談』

(平成3年2月8日)


米朝 ちょっと古い話に戻りますが、お父さんが、先代の南陵先生が最後の大阪の講釈場を、あれは松島やったかいね。
南陵 松島。日の出席。
米朝 あそこでやってはって。その時分は昭和の一桁ぐらいかしら。
南陵 あの時分、昭和の一桁、戦争前やったからね。南木(芳太郎)さんとか、あんな人たちが最後やってくれたりね。
米朝 その時分は、引き合う、つまり、どうにか小屋を維持できるほど客は来てましたか。
南陵 正月三日間は客来ましたけどね、あとはあんまり来ないね。
米朝 十人とか二十人とか。
南陵 十人来たらええとこや。松島がそばですからね。松島の遊廓いうとこはね、もっと遅行くと遅行くほど安くなってくるんですよ。
米朝 時間待ちで聞いとる。
南陵 そうそう。そやから、講釈を終わってから一杯飲んで十二時頃行けば、向こうも「お茶ひきよりましや」ちゅうのでね。安う上がれるね。そんな客がちょこちょこ。あんまりええ客やないけどね。
……
南陵 ところがね、せっぱ詰まってね、サッサッサーとへっちゃらな顔して嘘をいうのはね、これはやっぱり一流ですよ。
米朝 まあ、そらそうやろうね。
南陵 いろんな時がある。結婚のお待ち合いなんかに、めでたいものをやってくれといわれることがあるわね。そやから、「切れる」とか「離れる」とか、ああいう言葉は避けんならんわね。「水戸黄門」の中でね、渡し船に乗ってるとね、「おーい、船頭、その船戻せー」いうところがある。
米朝 「戻せ」いうのはいかん、結婚式には。
南陵 「戻せ」がいかん。そやから、「その船持って来ーい」とね、とたんにごまかしてしまうので。(笑)なかなか新米ではそうはいかんのよ。
米朝 東京の講釈師で、誰やしらんが、お経を何か一つだけ覚えてるのやね、お経を上げんならん時に。何経か知らんけども。それしか知らんので、何ぞ坊さんが出て来てお経を上げる時に皆それを言うてたら、「宗旨が違う」いうてお客に突っ込まれたことがあったいうて。
南陵 (笑)こいつはわからんなあ。うちのおやじがね、南海沿線のお寺で、お説教の後で講談ということになってたんだ。ところが、お説教する坊さんが酔っ払ってしもうてね、へべれけに酔っ払うてね、「僕はものが言えん、これは。南陵、僕のかわりに出てやってくれたまえ」「そんなことできるものですか、仏教のお説教を」「何でもええから、そこをうまいことごまして(ママ)やって下さい」とやってるわけだ、坊さんが。しゃあないから、しらふやからね。先代はあんまり酒の飲めん人やったから、やらなしゃあない。頭がね、毛がないでしょう、うちのおやじさんはね。
米朝 坊さんに見えるわ。
南陵 ありがたそうな坊さんに見える。出たら一斉に善男善女が「ナンマンダブツ、ナンマンダブツ」。
米朝 拝まれた。
南陵 うん、全部に「ナンマンダブ」と拝まれてね、「わしも講釈に出て、あない拝まれたのは初めてや」と。それかにいろいろと講釈をやったら、皆がまた後で「ナンマンダブ、ナンマンダブ。ようわかりましたなあ。あんなようわかるお説教は初めてでございましたなあ。ええお説教でございました。ありがとうございます」いうて。ほうほうの体で戻って来た。坊さんになってもうた。
米朝 いやいや。講談はそれができまんなあ、ネタが豊富であればね。
南陵 何にでも化けることはできるけどね。そやから、今の時代は本職で飯の食えん時代やからね。漫才は漫才で飯食えず、落語も落語で飯食えず、講談も講談で飯食えず。そうなってくると、余技が本職になってくるわけやね。そうなるとね、講談はね、皆は「講談はもう全然だめだ、だめだ」いうけれどもね、余技のほうがわりに手が広い。
米朝 うーん。つぶしがきく。
……


---------------

[ トップにもどる ] [ 講談メニューにもどる ] [ 講談資料メニューにもどる ] [ はじめにもどる ]
菊池真一 mailto:kikuchi@konan-wu.ac.jp or kikushin@kikuchi.dddd.ne.jp