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《表紙》 伊藤痴遊全集 續卷 十二冊 (タイトルの右側に)幕末明治の實話文庫! (タイトルの左側に)平凡社 (表紙右下に)東京神田 西川錦石堂發兌 《見返し》 (顔写真の下側に)最近の伊藤痴遊先生 伊藤痴遊全集 續十二卷 1幕末側面史 2佐幕派の傑人 3江藤新平・陸奥宗光 4續快傑傳(上) 5續快傑傳(下) 6山縣有朋・板垣退助 7大隈重信・犬養毅 8伊藤巳代治・田健次郎・後藤新平 9富豪八傑 10壮士物語 11自由黨秘録 12政界回顧録 《1ページ目》 『伊藤痴遊全集續卷』刊行に就て 伊藤痴遊全集は最初第一期發表として十二卷刊行の豫定のところ遂に十八卷まで増卷してなほ讀者少しも減ぜず、更に自餘數千頁の名作をも全部收録せよとの讀者の熱心なる要求あり、遂に意を決して續編十二卷を續刊するの運びとなつた。史實講談は實に痴遊先生の獨壇上である。材を偉人傑士雲の如く輩出せる幕末明治にとり、之に連聯する有ゆる事象を講談的通俗讀物として萬人大衆の胸奥深く訴ふるもの、實に痴遊講談獨特の持味である。本全集は、既刊の十八卷と合せて全卅卷を以て完結するもの、痴遊先生四十年来大苦心の精彩陸離たる大著述全部につき、先生自ら意に充たざるは改め、足らざるは補ひて完璧無比なる維新講談を集大成されたるものである。願くば大方の賛襄を得て廣く江湖に普及せしめ得ば、啻に小社の光栄のみならず、世道人心に裨益するところ尠なからざるを信ずる。 《2ページ目》 見よ!續十二卷の魅力ある内容 第一卷 幕末側面史 日本の歴史に於て、幕末の時代ほど、天下が紛糾した時代はなく、又、變動の激しかつた例もない。從つて、此時代ほど、面白い芝居は、前後になからう。正史の行方を離れて、その當時の事を、側面から、觀察して行くと、一層、興味の深いものがある。 幕末時代でも、最も混雑を極めた文久年間の事から、筆を起して、それから前後に、物語を擴げ、維新大舞臺の幕を開けて行くのが本書である。雄渾な舞臺に、諸多事件の紛糾と、あらゆる人物の活躍が、如實に現はれて居るのは、一大偉觀であるが、而も肩も凝らせず、時にはユーモア全集以上に、ユーモアの味を、御馳走してくれるのだ。 櫻田門外で、井伊大老の首を、太刀先に差上て『ヤアヤア、奸賊井伊掃部頭直弼の首を、水戸の浪士が討取つたり。斯く申す拙者は、薩摩の浪士、有村治左衛門』と叫はつた有村に就ての逸話に、千葉周作を試斬しようとした一節の如きは、手に汗を握る間にも、思はず、破顔一笑の氣分が、湧いて來る。 第二卷 佐幕派の傑人 維新の當時、勤王を唱へた時が、すべて純な勤王と限らず、佐幕に就いた者が、悉く朝廷に不忠であつたとは云へぬ。勤王といふも、佐幕といふも、實は立場の相異から來た區別に過ぎず、必ずしも、その心事の順逆を、意味するものでない。從つて、佐幕派だからといふて、抹殺して了ふべきでなく、能く其人物や、働きを研究して、賢を賢とし、偉を偉として、世に傳ふる事が、第一であらう。 勝海舟、山岡鐵舟、高橋泥舟、大鳥圭介、榎本武揚、小笠原壹岐守等の名は、改めて云ふまでもない。又、越後には、河井繼之助といふ、傑物があつた。其他、佐幕派の人物として、語るべきものも、少なくはない。 さうした見地から、本書は、佐幕派の傑物が、中心となつて、語られて居る所に、讀む人をして、一種の感慨に誘はれるやうな思ひあらしめ、覺へず、孤忠を憐れむの涙を、催させる。 第三卷 江藤新平 陸奥宗光 乃木將軍が、嘗て、著者に向つて『男の聴くべき話をしてくれ』と、註文した時に、著者は、直に壇上に立つて、江藤新平の人と爲りから、悲惨なる末路を講演して、乃木将軍を泣かせた事がある。江藤新平は、稀に見るの偉器を抱き、峻邁の資を有し乍ら、洵に不遇の政治家であつた、深刻な悲劇の主人公に終つた。 《3ページ目》 それだけに、此人の傳記は、讀む人の感激を、深からしめるものがある。況んや、此人のために、常に萬斛の同情を注いで來た著者の筆に成るに於てをや。恐らく、此書に依つて、故人死後の知己となる者、將來必ず、多きを致すであらう。 陸奥宗光の生涯ほど、波瀾轉變の妙を極めたものは少い。遊蕩放浪、謀叛、入獄、情痴、任侠、話題は山の如くあつて、貫くに奇才縱横、智巧の面目を、發揮して居る。若し夫れ、歴代外相中の第一人者として、剃刀大臣の名を擅にした、得意の活躍は、たゞ人を魅するのみである。此奇材を語つた本書は、痴遊先生得意の一卷、讀者宜しく、期待をかけて可なるものである。 第四卷 續快傑傳 上 時代から云ふて、古い人もあれば、新しい人もあり、政治家もあれば、軍人もあり、學者もあれば、富豪もある。其他、奇人あり、侠客あり、又、志士もある。頼山陽の赤裸々な姿と共に、父春水の風格、愛子三樹三郎の面目も描かれ、福澤諭吉の先覺振に配するに、風變りの醫家松本順の逸話が、頗る珍である。一代の奇人中江兆民と、西園寺公望の關係を讀んで、今日の西園寺老公を見れば、無限の興味が湧く。天下糸平の豪快な行状も面白ければ、孫文や金玉均の活躍に、東亜の風雲は動く。 要するに、面白くてたまらぬ、といふのが、本書の味であり、而もすべて實在した人物の物語である所に、深い魅力がある。『大審院として、令名の高かつた玉乃世履といふ人は、法律を知らずして、院長になつて、名法官の名を成した人である。これと同じやうな人が、もう一人ある。それは、陸軍醫總監を勤めた松本順といふ人だ。軍醫總監ではあつたが、醫者の方は、極めてヘボで、此人に療治を頼むには、命がけでなければ、頼めなかつたものだ』といつたやうな書振りで、松本が女郎買ひに、門人を誘つて行く珍談まで素ツ破抜く、といふ風で、小説以上の面白さに、卷を置くことを忘れるくらゐだ。 第五卷 上卷の説明で、述べたやうに、快傑傳の内容は、千紫萬紅、津々たる興趣無盡藏で、痴遊先生の材料は、山の如くあるから、到底、一卷には、收めきれぬ。そこで、もう一卷だけ殖して、此下卷を出す事にした。變つたものでは、『馬賊奇談』、や『鐘崎三郎』なぞも收められ、異境に命を賭けて活躍する、志士の勇壮な物語りは、必ずや、讀む人の血をおどらせるであらう。勿論、此卷の内容も、上卷の場合の如く、各種各様の人物が、色とりどりに叙述されて息をもつかせぬ面白さである事は、云ふ迄もない。こんな一節がある 九月一日の地震があつて、其翌日に、山本内閣が生れた。そこで世間の人は、地震内閣といつて居る。藏相に井上準之助を、引張り込むに就ては、後藤新平が、一番に熱心であつた。震災の最中に、日本銀行へ乗付けて、無理無體に、井上を自動車に拉し、乗廻し乍ら、盛んに口説いた。井上は、沈思黙想、後藤の言ふ所をしづかに聞いて居たが『宜しい、承知致しました』と答へた。 『さうか、それは有難い。可矣、それでは山本伯の所へ行かう』 《4ページ目》 『貴下は、今迄、私を何處へ、つれて行くつもりであつたのか』 『君が、承知する迄は、自動車を乗廻すつもりであつた、ハツハツハツハツ』と例の豪傑笑ひをして、鼻眼鏡をちよつと押へた 第六卷 山縣有朋 板垣退助 位は人臣の栄を極め、政界と軍部の上に、欝然として、重きを爲して居た一代の威望は、言ふも愚かな程に、山縣有朋の名は、人の記憶に新し過ぎるが、表からも眺め、裏からも見て、如實の風●を掴んで居る者は、あまり多くなからう。況んや、生立ちの事、修養力行の事、奇兵隊時代、青春戀愛時代などに就ての珍談逸話に至つては、一層世に知られて居らぬ。本書は、それらの一切を、白日の下に曝して居る。山縣の面目は、躍如として現はれ教訓もあれば、又興味もある。山縣を中心としての、政界裏面の交錯は、なかなかに面白い。 板垣死すとも、自由は死せず。民權自由の大旆を飜して、一世を風靡した、當年の偉觀は固より、時人の夢想だもせざりし、社會問題に目を着けて、四十餘年前、既に勞資の衝突を豫言した先見振りを叙して、板垣其人の眞骨頭を見せるかと思へば、政界に處せる波瀾に於ては、手に汗を握らせ、その貧乏振りと、性格の眞面目さには、板垣の風格を想見せしめる。維新當時の英姿華かに、當年の青年武將乾退助が、描かれて居る反面には、父と母との、不思議な結婚生活が語られて、人をして、奇異の感を覺へしめる。 第七卷 大隈重信 犬養毅 霞ヶ関に、轟然一發、爆弾の見舞を受けて、隻脚を失ふ。大隈さんも、たしかに劇的經歴の持主である。早稻田の邸に、快談縱横、盛んに放言高論して居た頃の人氣は、素晴らしいものであつた。さうした愛嬌のある大隈さんを、現はすと共に、外相當時の頑冥振りも、其儘に叙してある。改進黨を組織して、天下の人材を集めた、當年の事業は、一大偉觀であるが、維新後の政府に於ける立場は、あまり振つたものでない。痴遊先生の筆は、それらの一切を、有の儘に示して、大隈さんの風●本體が、目に見へるやうだ。 我國憲政の事を思ふ時、すぐ聯想されるのは、犬養木堂の名である。聰明俊敏の資質、一世に秀でながら、而も、氣節の高邁を以て、本領とする所、洵に現代の清凉劑だ。改進黨の花形から、國民黨に多年の苦節を續けて、遂に解黨に至り、革新倶樂部の集りから、政革合同に及んで、今や其總裁の椅子に在る現在まで、波瀾曲折の政治的經歴は勿論、野人生活、浪人生活に於ける、木堂の面目を叙してある外、人格、趣味、交友、逸話、各般の事柄を語つて餘蘊がない。野黨總裁犬養毅、國民の注視は、其一身に集つて居る。本卷が、特に大方の感興に投ずる所以は、此點にある。著者と木堂の關係は、世既に周知の筈。 《5ページ目》 第八卷 伊東巳代治 田健治郎 後藤新平 軍縮絛約の問題に、枢府の精査委員長として、天下の耳目を集中した、問題の人伊東巳代治。一種の怪物視されて、好奇の眼は注がれて居るが、其本體は、殆んど世人が知らぬやうだ。十九の歳から伊藤博文に用ゐられ、其懐刀として裏面の活躍も凄いものだが、三國干渉を尻目にかけて、日清戰後の絛約批准を完うした働きは尚凄い。大津事件が突發して、重臣閣僚等爲す所を知らぬ際、直に善後處置を立てたのは此人だ。憲法制定や、皇室制度完成に就ての功績は、年を經るに從つて、輝いて行くだらうとは本書の著者が豫言して居る。明治初年、十四歳の少年が、外字新聞の飜譯記者で月給三十圓。二十歳には工部權大録(今なら課長)廿二三歳で太政官の權少書記官(高等官)だから素晴しい。本書は、大膽過ぎる程、此人を裸にして見せて居る。 田健治郎も、今枢府に居る。大正震災の當時、火災保險問題に理解ある斡旋も、却つて仇となつたのは、公平な史筆を以てる顯彰し置く必要があらう。明治九年、伊勢伊賀地方の百姓一揆に廿一二歳の青年判事として、處置宜しきを得た事柄を初めとし、此人に就て、語るべき事績や逸話も、頗る多い。本書は、其幾多の材料を發表したもので、必ずや讀者の喝采を博するであらう。 後藤新平の名は、あまりに馴染が深い。今更贅言を要せぬだらう。たゞ痴遊先生の後藤新平傳を、熱望する世人の期待は益々強い。本書は、それに報ゆるものである。 第九卷 富豪八傑 澁澤栄一は、玲瓏圓満の人格を以て、財界の長老である。大倉喜八郎は、進取豪快の事業振りを以て、一世に雄飛した。久原房之助は、働き盛りの身を以て、今や財界と政界に、男らしく鬪つて居る。藤田傳三郎は、嘗て問題の人であつた。贋札事件の如きは、一時天下に大衝動を起したもので、今尚、疑惑は解けぬ程である。九州の快男子貝島太助、小野組の忠臣古河市兵衛、三菱を興した岩崎弥太郎、或は又、古き家道を守る三井の如き、舉げ來れば、色とりどりの人物特色が思はれて、是等諸傑の物語を聞かんとするの念は、油然として起るではないか。 立志傳あり、罪悪史あり、盛衰記あり、事業觀あり、成功あり、失敗あり、情誼あり冷酷あり、懸引あり商略あり、凡そ財界の表面裏面に起伏せる、幾多の逸事挿話を述べて、上記の諸人物を描出してあるから、單に各人の傳記たるばかりでなく、時代の状勢や、社会の諸相も、現はされて居り、津々たる興味は、全卷に溢れて居る。 第十卷 壮士物語 壮士華やかなりし頃の物語である。政黨創始時代から、議會の開けた頃まで、當時の政界や國情を背景として、純情の壮士が、痛快熱烈に、活躍し奮鬪し、悲憤し慷慨した面目を、描出したものだ。著者は、往年、其境遇を經て來た人であるから、本書の叙述が、一際精彩ある事も當然であらう。 《6ページ目》 而して、本書が、如何に面白く出來て居るか、といふ事を證明する一時がある。久留島武彦氏が、物語の組立法を説いて『如何に話は組立つべきであるか、如何に話を發展さすべきであるか、如何に話に興味を持たせ、波瀾を起させ、活動させて行くべきであるか。而して、波瀾と波瀾、活動と活動を、どういふ風に結ぶべきかといふ事は、最も深く注意せねばならぬ。かの伊藤痴遊君の話の組立に就ては、私共の參考に、最も宜しいものと思つて居る。品位もあり、興味が深く、材料も確かである』と推奨し、其實例として、本書を引用して居るに見ても、本書の興味ある事が推察されよう。 第十一卷 自由黨秘録 自由黨は、血を流した政黨である。生命財産を犠牲にし、妻子や家屋敷にも別れて、狂奔した幾多の有志家があつて、基礎を固めた政黨である。それだけに、血腥い國事犯事件なども、屡々起され、恐るべき陰謀や、秘密の計畫は、少なからずあつた、其間には、探偵小説以上の奇談もあり、又悲劇喜劇も頗る多い。 本書に收められたものは、要路の大臣大官を暗殺せんとした、自由黨の志士赤井景韶が、大膽な破獄を決行して、變幻の妙を極める有様や、東海の天地に雄視した岳南自由黨の人々が、熱血の迸しる所、遂に政府顛覆を企てゝ、静岡事件を起すに至る事情など、事件の強烈味に加へて、それに關聯する物語の興味、津々たるものがある。その上に、謎の國事探偵照山俊三が、自由黨の壮士として、痛快淋漓の活躍をした状態から、何時のまにか其筋の密偵となる經路と心情を描き、局面は、上毛地方の政情や、自由黨と侠客が、関係交錯して大騒動を起した顛末に亙り、而して、遂に同志の疑惑に包まれて、照山が謀殺される眞相まで、當年の浦和疑獄は、茲に詳述されて居るから、讀者必ずや、無量の感慨に誘はれるであらう。 第十二卷 政界回顧録 十五歳にして自由黨に加入し、今の貴族院議員小久保城南と共に、黨の最年少者であつた當時から、爾来四十八年、著者が政黨に育ち、政治運動に命を賭け、政界の表裏を潜つて來た實歴によつて、半生の過去を顧み、一篇の自叙傳を形作つたものが、本書である。 大正初頭の憲政擁護運動には、政友會院外者として、犬養尾崎の兩先輩と共に、痛烈な活躍を爲したが、その跡で政友會が、山本内閣の成立を援くるを非とし、脱黨して國民黨に入り、以來犬養側近の人になつた。昭和三年、東京市會が、板船疑獄其他に大醜態を極めたるを見て、議員の總辭職に依つて市會の更生を期すべしと爲し、進んで議員を辭したものは、著者伊藤氏只一人であつたが、日ならずして市會は解散を命ぜられ、職に止まりし人々も、空しく地位を失ふに至つた。此時の高潔にして鮮やかな進退といひ、前年の政友會脱黨といひ、著者の性格と本領が、よく現はれて居る。況んや、清新溌剌の青年時代から、氣力充實の壮年時代に於ける、進退行動が、如何に壮烈に、如何に華やかなものであつたか、想見するに難くない。乞ふ、本書を開いて、血湧き肉躍るの場面を見よ。 《7ページ目》 内容組方見本 佐幕派の傑人篇の一節 佐幕派の傑人 勝海舟、山岡鐵舟、高橋泥舟の三人を、世に三舟と稱して、明治の頃には、其書なども、なかなか人氣があつた。維新の際、ひとしく幕臣であつた事は、弘く知られて居る。鐵舟は、小野朝右衛門の次男に生れて、鐵太郎と稱し、三河以來の直參である。早くから劍を學んで、井上清虎、千葉周作等の指導を受け、更に眞影流を修め、いづれも免許になつた。その時分から、懇意にして居たのが、同じ直參で、山岡紀一郎といふ人であつた。此人は、槍術を以て日本一と謂はれて居た。弟が、高橋伊勢守、やはり槍一筋で、千石を領して居た旗本で、是が泥舟である。 兄弟そろつて、槍の名人であるが、殊に、紀一郎は、日本一といふのだから、素晴しいものであつた。ところが、此人に、男の子がなく、それとなく、養子を、探して居たが、どうも、氣に入つたものがない。すると、鐵太郎の元氣に充ちた姿や、劍術に勝れて居る所が、目につくのみならず、如何にも、その人と爲りが、奥床しく思はれて、すつかり氣に入つてしまつた。 そこで、出入の醫者で、松見甲齋といふ者に、斡旋を頼み、鐵太郎を、養子に貰つて、娘の秀子に、配偶せる事にしたのだ。この甲齋の子が、文平というて、神田に、順天中學を經営し、又、東京の府會議員などにも、出た人である。著者も、府會では、同僚として、深く交つたが、洵に温和な、物分りのする、よい人であつた。 鐵太郎が、山岡家へ、養子に行く時の結納が、武藝の免許状であつた。其外には、何一つなく、黒木綿の紋付に、小倉の袴を着けた儘で、出掛けたのであるから面白い。而も、婚禮の晩に大酔して、寝入つて了つた。 其後、紀一郎は、病氣の爲に、此世を逝つたから、鐵太郎は、山岡家の當主になつた。既に、北辰一刀流と、眞影流の極意を、究めて居るのだから、之に満足して居さうなものだが、鐵太郎は、決して然うでなく、槍を取つて、日本一と謳はれた養父に恥ぢず、亦山岡の家名を、汚さぬやうにしなければならぬと、一層、劍道に勵んだのである。 當時、一刀流の達人で、浅利義明といふ人があつた。今の市川左團次の夫人、元、下谷で鳴らした中川家の栄の祖父であるが、山岡は、浅利の許へ來て、その教へを受けたのだ。栄も浅利の、孫娘だけあつて、夫を定るに就ても、 《8ページ目》 内容組方見本 山縣有朋篇の一節 山縣有朋 日本橋の中橋に、吉田屋安兵衛といふ、唐物商があつた。粋な江戸ツ子で、商賣柄の派手遊びから、近所の大工町へ、しばしば足を運び、土地の藝者に、彼れ是れ、噂を立てられて居るうちに、叶屋の歌吉といふ、評判の女に思はれて、二人の仲は日に熱くなるばかりであつた。 本當に、江戸前の氣分を持つた女で、藝もすぐれて良かつた。長い間には、少なからぬ金も使つたが、吉安は、相場の失敗から、遂に、親ゆづりの家を、持ち堪へる事が、出來なくなつた。歌吉にも、無理な算段を、させて居たので、吉安が、愈々駄目となれば、歌吉の浮ぶ瀬もなくなる。殊に、吉安には、歴然とした女房もあれば、可愛い子供もある。どうせ二人は、末遂げられる身でない。さういふ次第で、二人は、とうとう情死をしてしまつた。新聞の續物にもなれば、草双紙にもなつて、新内の流しにまで歌はれた。 吉安の家は、斯して潰れた。妻は、二人の娘を抱へて、泣の涙で、日を送つて居たが、幸ひ、娘の容姿が好いので、それを頼りに、新橋へ見世を出して、家號も、元の吉田やを其儘の、藝者屋を始めた。亭主は、藝者と心中してその妻は、娘を賣物に、藝者屋を始めたのだから、忽ち評判になつて、僅かの間に、一流の名を取つた。 姉はやまとと稱し、妹は老松というた。そのうちに、姉は、三井の益田孝に、落籍されて、末長く、益田の持物になつた。妹は、姉の名を繼いで、やまとと改めた。其やまとが、山縣の枕席を拂つて、幾ほどもなく落籍されたが、本名は貞子というた。其頃は、十七八であつた。 正妻の友子は、肺を病んで死んだから、幾年かの後に、貞子は、本邸へ直された。然し山縣は、貞子を入籍させなかつた。桂太郎が、貞子の能く山縣に盡すのを見て、『奥様』と呼ばせる事を、山縣に勸めると、山縣は、たゞ黙々として、一語も發しなかつた。入籍の事になると、首を振つて、許さなかつた。亡妻の友子は、所謂、糟糠の妻なるものであつて、内助の功も、少なくない。それに對しての遠慮であると思へば、貞子には氣の毒であるが、山縣の心事も、亦察すべきである。その山縣にも、維新当時には、失戀の物語もあり、遊女との情事もあるから、序に、述べ 《裏見返し》 頭山滿翁曰く 伊藤痴遊君とは古くからの知りあひで、深い親しみをもつてゐる。伊藤君は大局を見る識見がある上に、言行に常に眞實味がある。あの人の著作の全集ならば我が國民大衆に向つて推賞する値打が十分ある。國民精神涵養の上からも、亦國民に歴史趣味鼓吹の上からも、この明治維新の大舞臺を材料とした氏の著作は、たしかに絶好の國民的讀本である。 犬養毅氏曰く 痴遊全集は日本近世史として有数のものなり。史實として完全なるが上に氏獨特の技倆と構想とを加へ、何人も倦むところなくして、面白く愉快に讀過せしめ得る必讀の好著なり。 吉川英治氏曰く 維新明治の有名な事件を悉く扱つて、しかもその活舞臺に上る人物を悉く友達扱ひに解剖して、少しも偶像にしない書きぶりは、此の人を措いてその大膽さと深さとをもつものは他にないと思ふ。要するに痴遊の書は、百錬を經た政界の曲者が、暗界の事件と廟堂の人物とを居酒屋にまで引づりおろしての活寫である。殊に情話において出色があり、讀んでこれほど面白くて爲めになる本は全く他に類例を見ない。 《裏表紙》 これこそ眞に萬人感激の國民讀本! 一冊一円 申込金なし 第一回配本(第十一卷)自由黨秘録 十月二十日より配本 豫約規定 一、全十二冊、豫約會員にのみ頒ち分賣せず。 一、四六判、本文六百頁、八ポイント總ルビ付。 一、表紙特製クロース總模様、背金文字、本綴函入美本。 一、會費 毎月拂金壹圓(申込金ナシ) 一、送料 毎卷金拾四銭(東京市内六銭) 申込締切十一月八日 申込所 (見本写真の下に)實物縮寫 (一番下に)東京麹町下六番町 振替東京二九六三九 平凡社 電話九段一六六四番三四七五番三六四七番 |