一龍斎貞山『忠臣二度清書』

(大正6年7月。『ニツポノホン 音譜文句全集』)


〔講談〕忠臣二度清書  上下    日蓄七三八・七三九  東京 一龍斎貞山 (『ニツポノホン 音譜文句全集』(大正六年七月発行。同発行所刊)による) 【上】 氷は水より出でゝ尚ほ冷やか孫は子より出でゝ其愛優る、大石良雄離縁と号し妻子を但馬の豊岡、京極の家老石塚源五兵衛方へ参ります、石塚老人右と左に孫を置き一日の退屈を知らず毎日の如く孫の傍に居ては其世話を焼き面白く送り居ります「アヽ吉千代と大三郎一寸是へ来い斯云風の立つ日には外へ出て遊のは不可ん宅の中で遊ぶを利口者と云ふ爺がかるたの相手をして遣るからかるたをもて―「願ひます/\「オヽどうれ、玄関に案内があるぞ誰れか居らんか皆揃つて又遊びに出居つたナ吉千代そちが兄ぢや一寸行つて見て来い「ハイー誰れだ/\「私しで厶ります「アツ寺坂の爺か「坊様には少し見ぬ間に御身大きくお成り遊ばしました寺坂の爺が参りましたとお爺様にお取次を願ひます、父様と兄様は何うなすつた「凧を買つて跡からお出で厶ります「お爺様寺坂の爺が見へました「ナニ吉右衛門が見へたかアーコレ袴をもて袴を早くせよ「あなた袴の腰板が裏返へしになりました「アヽ急ぐと余計に用が殖える、ぢやこれへ通せ」案内に従ひ入り来る奴吉右衛門「コレハ/\皆々様お揃ろひの体を拝し何よりに存じます、旦那様の御書面御一見の程願ひたう存じます」取り上げました石塚源吾兵衛、孫二人に膝へ手をつかせ「ナニ 『去る八月中頃妻右初め老母幼年なる者相添へ離縁と号し御地へ送り候処、良雄が心中御賢察、御挨拶ならその砌、吉右衛門より承り有難き事恐れ入候、之れなる吉右衛門忠義なる者故、良雄之れまで召連れ取急ぎ認め候故万事口上にて申上候乍然あらまし某し同心の輩、当月十四日夜本所松坂町吉良家へ討入仕、上下四十余人内匠頭の遺命を守り、残死とげんため参上と呼ばはり八方より乱れ入り斬り立てる予て用意の上杉の付人剣法有名の者共現はれ出で勝負を一時に決し味方の勇士勝利を得候へ共、眼前敵の上野之介、臆病にも逃げ隠れ夜明けに至り、間、武林等にて見附け出し忰主税御首級を挙げそのまゝ高輪万松山泉岳寺へ引揚げ亡君墳墓へ手向け上下四十余人の者礼拝遂げ又天運に叶ひ味方一人の怪我無之、何卒この事老母並に妻石にもよろしく仰せ聞け被下度、忰主税一書差し上げ度き由申居候へど最後を取急ぎ候まゝ、余は地下より語らせ申候、恐惶謹言、匆々 極月十五日 大石内蔵助良雄』 「女と云ふ者は情けなきもの七十になり乍ら我子の仇を打つ心を知らず、孫の主税が十五でも仇の首を挙げたとか、健気な事をして呉れました「あなたの御言葉通り今も今とて奥座敷で、あなたのお噂申したが勿体なし妻石にも之の段申し聞けろとは離縁をなすつても矢張り妻と思召してか、お嬉しう存じますと、お石も共に。 【下】 「討入り当夜のお物語り訥弁ながら申し上げます坊様にもようお聞き遊ばせや「扨もその夜は極月十四日夜討の勝負は予ての計略打ち立つ時刻丑満の雪の棟木へ降り積る雪の明りが味方の松明、鎖帷子身を固め小手脛当は覚えの手の内、錣頭巾な頭に戴き皆一様の扮装にて地黒の半纒だんだら筋、白き木綿の袖印、白山足袋に武者草鞋、銀の短冊襟につけ表には浅野内匠頭家来何の某、行年何歳、君恩の為討死と認めたを各背中に結びつけ投鎌投槍縄梯子、半弓薙刀管槍手槍、中にも大高源吾殿得手たる掛矢引提げて手もなく砕く表門、微塵になるを幸いに一時にどつと討入れば若手は矢頭右門七殿、村松、吉田が一番に、二番は岡島不破小野寺、つづく三番が原、杉野、間、磯貝、倉橋速見、四番は交り七人組、奥田、前原、矢田、木村、もの数ならずこの寺坂、都合廿三人が大府様の御下知をうけ、表門より斬り込んで玄関次の間御書院まで修羅の戦ひ火花を散らす、又搦手は若旦那主税様、後見小野寺十内殿、采配とつて下知なせば、間兄弟、菅谷堀部、老人なれど聞かぬ金丸、勝田大石瀬左衛門、劣らじ負けじと死力の勇戦、続いてより来る潮田貝賀、片岡神崎与五郎殿、三手の組は三村近松横川茅野、赤垣源蔵正賢等弓矢の花と斬り結ぶ、魁好む四番手は入るもあらせず間世の斬先、中を隔てる中村が操正しき村松の老木の色も若返へり十八公が五葉の松、二十三人一党が凌を削づる太刀風は表裏合せて四十六人吾れ/\は前きの播州赤穂の城主浅野内匠頭浪人共、主人の遺命相続し残死遂げんと討ち入つたり少将殿の御ン首頂戴と呼ばはり/\斬り込めば油断大敵と上杉の附人は剣法自慢の榊原、鳥居、小林、和久清水、鎖帷子一着なし浪人共の錆刀と高言放つて斬つて出で、こゝを先途と働くを、ても面白ろしと堀部、大高、富森中にも勇む武林、鋭き太刀風不破、神崎、この面々に斬り立てられ、さしもに勇む附人も枕を並べてバツタ/\と討死なし四十余人の方々が聊か手疵受けたれど、命に誤ち少しもなく、勝負は丑の上刻より寅の頭に至れども卑怯未練の吉良上野、命惜みし臆病者、何へ逃げしや行方知れず、年頃日頃恨みの仇、天を翔り地を潜り七重八重鉄板の囲みあるとも、やはか此儘置くべきと此処よ彼処と尋ぬるうち、天道などか吾れ/\を憐み給はざらん忽ち見出す袋壁、間十次郎殿が引出せば若旦那主税様が首をあげ人数を纒めて引上げは回向院より一ツ目通り永代橋、築地を芝へ高輪まで血塗血まぶれ血装束、四十余人の引上げを、諸侯の見物町人まで褒めざるものは一人もなく心ある武士は之れぞ忠義の鑑ぞと涙を流し褒たるも皆旦那様の御計らひ、討入当夜のお物語斯の如しと。

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菊池真一 mailto:kikuchi@konan-wu.ac.jp