篠田鉱造『銀座百話』

昭和4年初版。今は角川選書65(昭和49年)による。




松林伯知と代言人星亨

 銀四の旧尾張町に、銀座亭という寄席のあった証拠には、松林伯知の講談披露の広告で解りますが、松林派は即席講談といいますか、時事講談といいますか、世間に起った事件をつかまえて、すぐ講談に仕組み、人気を博したものです。師匠の伯円がソレでしたが、伯知も同断、大久保利通さんが暗殺されると、スグ寄席へかける(もっともこの大久保さんのは其筋から叱られて中止)この当時清仏戦争のあった後ですから、たちまち看板にソレを掲げて読んでいます。

  清仏戦争電報記
  名高梨農夫の礎
  春色日本魂           松林伯知述
  (余興)日本橋芸妓の命
  右は九月(明治十七年九月のこと)一日より昼は銀座四丁目銀座亭、夜は日本橋瀬戸物町伊世本に出講候に依り陸続御来臨を仰ぐ

 これは明治十九年ですが、銀座三丁目十九番地に、麗沢館という代言社が設立されて、館主を山名克巳といい、星亨を迎えて、法律上の業務を委嘱したという広告があります。

     広告
  今回英国代言学士なる星亨氏を本館に請じて左の業務に従事す
  第一司訟を鑑定し又は出訴和解の方法を指示又は紛議の手裁を為す事
  第二訴訟書又は契約出願伺届書等の文案を起草する事
  第三代言弁護又は官府へ願伺の為め代言人及紹介又は同上の為め他所へ代言人及び代人又は紹介する事
                    京橋区銀座三丁目十九番地
                       麗沢館主  山名克巳

 星亨が英国代言学士の新帰朝新知識を背負って、同館から法律上の委嘱を引受けるという、まだ駆出しの宣伝時代と思われます。

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菊池真一 mailto:kikuchi@konan-wu.ac.jp or kikushin@kikuchi.dddd.ne.jp