|
演説の起原 …… 講釈師落語家、これは「舌耕師」と呼ばれた演説家である、太平記読の見て来た様な嘘交りも構想的の芸術演説と云ふべく、坊主と婦人嫌ひの志道軒が臨機応変の罵倒を敢てしたのも舌耕の妙を得たものであつた 福沢諭吉が講談師松林伯円を自邸に招いて弁舌の伝習をしたと云ふ事が『明治英名伝』に出て居る、偉人諭吉の舌耕は其範を伯円にとつたのであるとすれば、シヤク師の功も亦大なりとせねばならぬ …… 松林伯円の童蒙演説 「童蒙演舌と呼ぶ一派独立の演舌会を開き婦女幼稚の為めに知覚を導く条々を漢洋二籍に基きて述るがゆへに二三の友を需め俗談平話に説き諭すことを要旨とする席を開かんと松林伯円が其儕輩に抽んで独り寄亭の昼席を改め月次土曜日を以て木挽町一丁目福田亭に於て催す其初時は本月六日なりと」(明治十年十月一日『郵便報知新聞』千四百六号) 新しいスピーチたる「演説」を「講談」と唱へた時代もあつたが、右の一節は極めて拙文であるが、それと反対に古い「講談」を「演説」と称した一例である、又下の絵は明治十二年出版の『今常盤布施譚』といふ伯円新作の講談を筆記した本に出て居るもので「松林伯円席上にて布施譚を演説の図」と記してある |