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(五)菊坂時代 (其三)菊三郎の日記簿(大正九年) 一月一日? 朝より晴天無風好天気/例年之通り本日休業/朝年頭の端書九十枚余を見る/喜多郎森ケ崎へ午前より行く/去冬出し百五十枚の端書の増しを本日十七枚をする/年始の人多く来る/菊三郎お竹勝男育蔵四名本郷若竹亭へ夕刻より行く ……お竹は菊三郎妻たけ。勝男、育蔵は先に記した住み込みの小僧金子勝男と山形育蔵。勝男は明治三十七年生まれの十七歳、育蔵はひとつ年下の十六歳。この日の支出の中に「貳円 若竹亭四人分」とある。若竹亭は本郷富士見坂の先にあった寄席、講談の定席である。ひとり五十銭。同じころ近くの本郷座(これは当時としては大劇場である)の木戸銭は二円であったという。…… 一月十七日 菊三郎お竹聖堂の簡易生活展覧会へ午後より行く、帰途東竹町蕎麦屋に寄りて酒食して、その後若竹亭で落語と貞山の講談を聞く 四月八日 喜多郎、周一郎を連れて、薬研堀市、車屋市連中と花見にでかける/菊三郎お竹此夜、岩本亭にて邑井貞吉一座を聞く 「五十二銭 岩本亭入用」。邑井貞吉一座は新講談の一座であるらしい。 四月十九日 吉田一郎氏朝来りて展覧会出品売上を支払いして行く/夜菊三郎お竹岩本亭へ貞吉を聞きに行くも此夜貞吉出ず 十月十四日 高村光雲氏方へ久継帝展入選の礼状を出す/此夜岩本亭へ貞吉南龍フラツク外二名を聞きに行く、客数十二名、坂本富岳はもはや出ず看板にもなし この項は、森田憲司氏の提供資料による |