尾崎紅葉『月下の決闘』

(『読売新聞』明治33年3月)




  太閤記の一節は何の辺であるかと云ふに、尾州清洲の城中に於て木下藤吉郎と上島主水とが鎗の長短を論じて御前試合を為ると云ふ名高い条。所が手前が「阿米利加のハンカチイフ」と対照せうと為る眼目の本文と云ふ処は真書太閤記には出て居らぬ。確に太閤記に在つたと念つたのが、手前の覚えたやうに出て居らぬから、段々考へて見ると、子供の時武者絵の本で見、又能く大道講釈で聴いたのでありまする。   今でも其の講釈師を記臆して居りますが、十二三才の頃所好で、毎晩聴きに出掛けました。場所は芝の浜松町二丁目と三丁目との角で、土蔵の前が先生の定席、縁台を三脚並べて、其の正面の畳牀几に座を構へて、机も張扇も無い、要の弛んだ、楽書のして在る名古屋扇を以て膝を拍きながら、点燈頃から十一時ぐらゐまで立続に弁じる。髪を撫付にした、色の黒い、痩削けて、目の鋭い、皺嗄声の四十約の男、是は誰の弟子で、名を何と云ふのか、知る者も無い、本人も亦名乗を揚げた所で知る者も無いと知つたか、曾て一たびも名乗らなかつた。けれども既に其形有つて其名無きは、大きに不都合な場合が有る、之を聴きに行く友達が三人ほど有りましたが、遂に彼を仇名して「合点三郎」と呼んだのでありまする。其故は、彼が講談中に「畏つた」と云ふ口上を必ず「合点さぶらふなり」と遣る。で、其の合点三郎直伝の鎗仕合を些と御聴に入れる。
(岩波書店『紅葉全集』第八巻。一九九四年五月刊による)

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菊池真一 mailto:kikuchi@konan-wu.ac.jp or kikushin@kikuchi.dddd.ne.jp