関山和夫『仏教と民間芸能』

(昭和57年12月20日)


 吉沢英明氏編『講談関係文献目録―明治・大正編』を見ると説教と講談が、つい最近まで紙一重だつたことがよくわかる。同書に記されている仏教講談を拾ってみると『西行法師御一代記』(明治?)、『三国七高僧伝』(明治十九年八月刊)、『聖徳太子御一代記』(明治二十一年三月)、『親鸞聖人御一代記』(明治二十年八月)、『親鸞聖人御実伝記』(明治二十三年十一月)、『文覚上人昔々物語』(明治十六年六月)、『中将姫蓮曼荼羅』(明治二十一年七月)、『中将姫』(明治四十三年六月・田辺南麟講演)、『文覚実伝(遠藤武者盛遠)』(明治三十三年三月・松林伯知講演)、『祐天の伝』(明治四十年八月・真龍斎貞水講演)などの講談本があげられている。これらの仏教講談の本は続々と刊行され、大いに口演された。説教と講談が近代に入っても紙一重であったことは『釈迦御一代記』『親鸞聖人御一代記』『蓮如上人御一代記』『怪談累物語』などが講釈師によって講談として口演されていることでも立証できる。吉沢氏の『文献目録』に紹介されていることだが、明治三十五年三月における松林速記所々主・若円堀田正裕が述べるところでは『釈迦御一代記』巻一(貞玉)口上に、
 小生去年京阪地方に参りました時、京都の講談師、元仏教の講師(説教者のこと―関山注)大万字と云ふ老人が得意に此釈迦御一代を演じて各寄席に於て大入喝采を博した事が御座いました。夫れを小生も面白く日々傍聴いたしました。
とある。これは「説教すなわち講談」ということを意味している。『怪談累物語』(貞水)も説教そのものである。
 拙者の今日申上升る此累のお話しはエヽ下総の国岡田郡羽生山宝蔵寺の過去帳また芝三縁山増上寺三十六世の大僧正祐天上人の御書なされましたる書物、是等から引出しまして是を纏めましたる講談で因縁と云ふものは必ず有り升るもので……
という口上から、この講談が浄土宗の説教によっているものであることがわかるのである。
 そのほか、仏教界における説教と同じ材料を扱った講談としては『沢庵禅師』(明治三十五年四月・宝井馬琴講演)、『佐野の鉢の木』(明治四十年四月・桃川実講演)、『壺阪の沢市』(「西国三十三所観音霊験記」明治三十五年三月・神田伯龍講演)、『浅草寺の仇討』(「観音利生記」明治四十年五月・桃川燕林講演)、『野狐三次』(「観世音霊験記」明治?・真龍斎貞水講演)、『俊寛島物語』(明治四十二年四月・邑井一講演)など枚挙にいとまがないほどである。明治三十年代に田辺南鶴が『親鸞聖人御一代記』を、若林若円が『蓮如上人御一代記』を口演し、さらに大正に入ってからも『石山軍記』(大正三年六月・揚名舎桃李講演)、『親鸞聖人御一代記』(大正三年一月・田辺南鶴口演)、『小栗判官』(大正十年三月・宝井琴凌講演)、『日蓮記』(大正十年十二月・柴田薫講演)、『高僧三蔵法師』(「西遊記」大正十五年六月・桃川燕林講演)などの講談本が刊行されている。これらは講談と仏教の密接な関係を物語っている。この傾向は現代でも残り、現宝井馬琴氏は法然や日蓮の事蹟を読み、悟道軒圓玉さんは節談説教伝承者の祖父江省念師に師事して節談の技術を自己の講談に導入する努力を続け、現在『親鸞聖人御一代記』と『法然上人御一代記』を口演している。
 そもそも「講釈」とか「講談」とかいう呼称は、日本の仏教界では中世のころから「説教(唱導)」の異称として盛んに用いられていたものであった。講談・講釈とは、本来、経典・史書・軍書などを講義・解釈・説明・敷衍することであり、仏教・儒教・神道の世界で盛んに行われたが、特に仏教の説教で盛んであった。経典講釈というものは、法門講談として仏教界では重要なものであった。「講釈」「講談」の用語は中世の仏教関係の文献に頻出する。『花園院天皇宸記』元亨二年(一三二二)十月十日の条に「問答之次第。衆僧着座の後一僧善導の観経釈を談じ、之を講釈す」とあり、仁空実導著『西山上人縁起』(一三八六刊)には「おほよそ黒谷の門弟其数多しといへども、本疏の講釈に至りては聞者はなはだすくなし」「中陰五旬の間日々の法前の講釈七七の諸尊の讃嘆」とあり、『蓮如上人御一代記聞書』には「アルヒは講談、又ハ仏法の讃嘆」などとある。ここにいう「講釈」や「講談」は経典・経釈書の真意を詳しく解釈して講義することをいう。「講釈」「講談」は説教の一分野として古くから尊重されたのだ。浄土真宗や真宗各派では「説教」と「講釈」がつい最近まで区別して行われていた。現代でも地方寺院で「講釈」という貼紙を見ることがある。真宗などで区別していたのは説教に二つの系列があることを意味している。一つは純粋の経典講釈(法語の講釈も含む)であり、今一つは演説(口演)を中心にした説教(唱導)の系列である。話芸としての落語・講談・浪花節などの源流に説教を求めることは研究の上では重要である。話芸としての講談の源流は、主として第一系列の経典講釈の方に求められねばならない。

以下省略


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菊池真一 mailto:kikuchi@konan-wu.ac.jp or kikushin@kikuchi.dddd.ne.jp