篠田鉱造『幕末明治女百話』

昭和7年初版。岩波文庫平成7年。




「下谷佐竹ケ原の賑い」の章から
ソレから佐竹ケ原、古くは竹門といい、佐竹様の西門の扉に竹があったので、竹門/\といいました。ソレがあなた、下谷限っての賑かな、雑沓場でして、講釈場の寿亭−モー今頃(午後一時)は、良人なんか、あなた、お湯へ入って、『往ってくるぜ』と申して、昼寝に参るんでございます。前座の太平記読が、板を叩いているんだそうで、木戸が二銭の布団が五厘で、木枕がころがっているんで、ソレを把って、ゴロリ寝ながら、昼間からグーグー寝込んで、鼾が高いと、『いびきだよ』と、客から注意されて、席亭の若衆に起されるなんて、馬鹿々々しい、ソノくらいなら、宅で寝たらよさそうなものといいましてもあなた、前座のノン/\ズイズイを聴いて、寝せつけられる味が、何ともいえねェといっていました。『宝集亭』という講釈場もありまして、両方へノベツひる寝に参りますんで、二銭五厘の昼寝は安いようなものですけれど、毎日ですからあなた、日銭ですから、お湯銭と講釈代とで、好加減とられましたよ。
 『宝集亭』のことを、『とんぼ』と申しますから、どういう訳で、『宝集亭という名がありながら、とんぼ/\というのだェ』と、良人に聞きましたら、『由緒因縁といえばこうなんだ、そもそも』『冗戯じゃアないよ、この人は、講釈師かぶれがして』と大笑いだったんです。ソレが宝集亭の主人というのが、出席の講釈師の穴があくと、自分で出て、いつも本多平八郎がとんぼ切を振廻す条を弁じるので、誰いうとなく『とんぼ』とんぼというようになったんですと申しました。

 その『とんぼ』の娘の亭主になったのが、御承知か知りませんが、正流斎南窓で、肥った大坊主でした。講釈師の傍ら、売卜者ともなっていましたがあなた、ツイ近年です、下足番とイザコザがあって、とうとう下足に殺されてしまいました。易を見ても、自分の身の上は……暗剣殺は解らなかったものと見えます。








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菊池真一 mailto:kikuchi@konan-wu.ac.jp or kikushin@kikuchi.dddd.ne.jp