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四〇 明治講釈界の噂 今は昔、慶長の頃赤松法印とかいふ人が東照神君の御前に召されて太平記を講じたのが、抑も今日の講釈師、天下の記録読の濫觴だといふ。 成程、落語家、浪花節語り、といふに比べると、講釈師であり記録読であるだけに、何所となく、一見識を持たうとする、熱を吹かうとする、之れも御尤もな事とした所で、見識と熱吹きとの同志打が始まり、空板以外に張扇の叩き合ひ、貝鐘太鼓の音も凄じく、ドン/\エイ/\と攻め合ひ押合ひ、破れては和し和しては破る、頃は元亀天正の……といつた戦国時代、両国何れも痛手に痛手を負ひながらも流石は見識の手前、屁腰な事も出来ず、降伏は尚更と、意地と張りとで突張つたのが三年此方。 正義も同志も、へと/\になり、席の顔触れもシドロに乱れ、時こそとばかり浪花節が武士道鼓吹、人道鼓吹の大旗小旗をつくばの風になびかせて、必勝決死の覚悟にて、山と川との合言葉夜は更なり昼も亦、ワツトばかりに突撃する。 席亭の下足の数は何時の間にか心細くなり守るに足らず攻むるに勝目なく、如何はせんと途方に暮れる其折柄、浪花節軍愈々押寄せて兵糧の途を打切らんず勢ひ。 アーレ物々しやのと叫び声此所彼所に聞えて、正義も同志も今は早や頼み尠なに見えたる折柄はるか彼方より砂煙立てて敵か味方か、エイト/\押して来る。 「敵か、味方か……」 偖て斯うなつて見れば正義も同志も今は同じく存亡の位置に立つ空つ腹、さりながら協力してこそ外敵も恐るに足らじ、と何うやら目が醒めかけた其折柄、寄せ手の一隊は某顔役とやらの率ゆる仲裁軍、聞かれねば勝手に亡びるが良いと、ポンと一本参られて、正義も同志も浮足の折柄とて訳もなくお任せ致しますと案外早く和解が出来たとは、之れ又一見識持つた人達の事とて、さもあるべきか、然し何うせ持つ位ゐの見識ならば、斯うと末路の定つた者をお気が付かぬとは元亀天正とは大分様子が違ふと、今更感心しても始まらず、何時が何時までも元亀天正と見て来た様な嘘では電車の後押しも出来ぬ世の中と悟る丈の見識を持つて貰ひたいもの。 所で或る一派の見る所では此の戦ひはよしや平和になるとも長く続く筈はない、何故といつて此の戦ひの起りは正義派の自由営業(色物席其他の芸人と一緒に出る事)を封じて同志派の見識を何所までも徹さうとした事が分離の原因。 明治四十二年二月末、神田福田屋にての手打式には両派の委員諸君が、目白押に詰めかけて、程よき条件で和解する筈と、誰れもが斯う信じて居たのに、正義派では自由営業を封じられたまま諾々と納まり、今日まで全る三年間の戦争は残念ながら無意味となつて手打となつたが、 それで納まらないのが正義派の大頭株、人に知られた桃川如燕、只一人此の屈辱的講和に納まらず、奮然として反対を唱へたが、敵は多勢、味方は一人、討つも突くも勝目のあらう筈はなく終に畳を蹴つて立帰つたとやら。 結局、かうして一人の脱出者を出したのみで、手打も済み、和解組は旧来の講釈場を叩いて廻るに対し、只一人の如燕は大童となつて芸壇に奮戦する事となつた。 |