山本笑月『明治世相百話』

(昭和11年4月20日)


閑人の昼寝の場所
   名人ぞろひ・明治の講談界


 講談落語と一口にいふが客種が違ふ。講談には毎晩通ふやうな定連が多く、予めこれら定連の席には別仕立の座布団がずらり、昼席となると又閑人の昼寝の場所で煙草盆を枕にごろごろ、しかし釈師も明治中頃は名人株がそろつてゐて、定席の繁昌はどこも劣らず。
 当時の巨頭桃川如燕、つるつる頭で赤ら顔の和尚然たる老人、軽からず重からず、程よく上品な口調、「曾我物語」が得意で御前講演の栄を得た。世話講談では邑井一、低声であつたが味のある老練の話振り、「大岡政談」は聞物であつた。軍談では伊藤燕尾、請負師みたいな風采で、凄い目にぎろりとにらみ廻すところ、賤ヶ嶽の豪傑然たり。先代放牛舎桃林は禿上つた頭と薄い眉毛、色の白い老人で「義士伝」など呼物、端物読みの一立斎文はこれも大柄の五分がり頭、柄になく艶つぽい話で受けたもの、神田松鯉(前伯山)は色の黒い厳格な顔付、その割に砕けた口調で、時々笑はせる。
 一方の大看板は松林伯円、木挽町六丁目にゐた頃、神道の権大講義とあつて中々の気位、ところが義賊物で売込んだおかげに泥棒伯円などといはれ、晩年は大いに綽名の解消に努めた。この人は釈台を用ひず、高座前の客席へテーブルをすゑて椅子、一席終るとそのままそこで腰から煙草入を抜き、一服つけてスパスパ、傍の客など話しかけるのを軽くあしらつて、中入が済むとまた煙草入を腰へ戻し、さて後席に移るといふ工合、なんとなく親しみがあつた。「天保六佳撰」(河内山)や「安政三組盃」が得意で、河内山は団十郎にその意気を伝へたと大自慢。
 芸よりも鼻息の強かつたのは五明楼玉輔、客が皮肉な評言を飛ばすと「なにつ、もう一度いつて見ろ、お前にはおれの話は解らねえ」とむきになつてタンカ、昼席で寝転ぶ客が多いと釈台をポンポン叩き「寝ながら講談を聞くとは以ての外、どなたも起きさつせえ」客は驚いて皆むくむく。


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菊池真一 mailto:kikuchi@konan-wu.ac.jp or kikushin@kikuchi.dddd.ne.jp