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今日の講談界は衰退の極にある。しかし、そうした兆候は、明治中期の全盛期に、すでにあらわれていたと見ることもできる。そのころの繁栄の原因を、有竹修二氏は「名人上手が輩出し、世人一般の回顧趣味、江戸時代への郷愁も手伝い、かつ徳川時代には憚って云いにくかった徳川家や各大名に発生した事件を平気で語る自由を得たこと」といっているし、阿部主計氏は繁栄の現象を評して、「多年蓄積され完成された技術と、その内容への懐古趣味とが、まだ映画のような新時代の時代演芸が現れない時代の断層に当って、人口の増大という現象の上に活かされ、利用されたに過ぎなかった」としている。 事実、浪花節や活動写真が大衆の人気を集め出すと、講談はその影響を受けて、衰退の道へ急カーブを描いたのである。また、御前講演などによって、大衆演芸として一段低くみられていた講談が脚光を浴びると、明治教学思想の普及に利用されて、本来の在り方から逸脱する傾向もあらわれ始めた。これでは庶民はついて来ない。講談はどこまでも寄席芸なのである。高所からものを言うような芸能である筈がないのだ。 大体、講釈師には、世態風俗を読む世話講談を端物として卑しめ、軍談、忠義談を読むことに誇りを持つような体質がうかがわれる。明治政府に操られるまま、忠臣義士・名君・高僧・烈婦・孝子の読み物をひたすら演じたのである。権力と結び、権力に追従するとき、民衆の講談ばなれの現象が起きるのは当然というほかはない。 こうしたあやまちは、太平洋戦争=第二次世界大戦において、ふたたび繰り返された。大政翼賛会と癒着して、滅私奉公、尽忠報国の戦意昂揚活動の一役を担ったのである。権力の側に立つよりも、民衆の側に立つべきであった。本来の使命を忘れたものに、繁栄はあり得ない。これも今日の窮状を招いた一因である。 |