愛国百人一首通釈

                              (昭和18年発行。坂口利夫著)

 

はしがき

 この度選ばれた、愛国百人一首は、奈良時代から幕末までの、秀れた歌で、真に芸術的な香もたかく、亦愛国の情熱を詠ひあげたものばかりである。
 作者の方面からいふと、公卿武人学者商人等あらゆる職業を含み、婦人も少年もまじつてゐる。
 大東亜戦二年目の正月を迎へて、この秀歌百首を贈られたことは、真によろこびに堪へない。一億国民こぞつて愛誦すべきものであると思ふ。
 今回烏滸がましい事ながら、大東亜戦一周年に際して、この歌の通釈をこゝろみた。極めて平易に簡単に、国民学校児童諸君にもわかつてもらへるやうに書いたつもりである。而してこの小冊子が少しでも愛国百人一首普及の上に役立つことがあれば光栄とする所である。
  昭和十七年十二月八日
                           著者識す

本書の歌詞は定本と一字一句厳密に校合し、その順序も最初の発表によらず、その後改訂された年代順に従つた。

 

愛国百人一首通釈

             情報局認定 日本文学報国会撰

「愛国百人一首」は昭和十七年十一月二十日午後情報局から発表された、これは万葉集から幕末までの秀歌で、真に芸術的かをりも高く、愛国の情熱を詠ひあけたものばかりである、さきに文学報国会が情報局の後援を得てこの撰定を計画、一般から推薦歌を求めたところその数十二万首を超えた、この中から佐佐木信綱、斎藤茂吉、窪田空穂、折口信夫、尾上柴舟、太田水穂、川田順、吉植庄亮、斎藤劉、土屋文明、松村英一、故北原白秋氏ら現日本歌壇の誇る十二元老がさる九月以来慎重審議したのである。
小倉百人一首にはそれとしての長所があるが、今回一億が朗読するに足る高い日本精神に満ちた歌を撰ぶに苦心した、時代は万葉から明治改元以前に物故した臣下の詠歌に限り、作者不詳のものと小倉百人一首にあるものは除いた。
愛国百人一首上代の部は、記紀の歌には種々と検考を経た結果一首も選定なく、万葉集の歌からといふことになつた。
かくの如くにして選定せられた万葉集の歌は二十三首ばかりである。して見れば百人一首中の約四分の一を占め、従来の小倉百人一首に万葉歌人のものとして入つてゐる和歌が数首に過ぎないのに比して、非常なる差別と謂はねばならない。
作者も特に公卿、武人、学者、商人などあらゆる職業を網緬し、婦人もあれば老人もあり、少年もある。
 「翁とてわびやは居らむ草も木も栄ゆる時に出でて舞ひてむ」
の尾張浜主は百十三歳の翁である。
 「いのちより名こそ惜しけれ武士の道にかふべき道しなければ」
の森迫親正は百人中の最年少で十七歳の若武者である、その他万葉の代表的歌人や防人の歌も相当あり、蒙古来寇に関する歌は伝へられてゐる三首を全部採つた、なほ増産といふ点にも留意し大伴家持の歌には多くの名歌があるが、
 「天皇の御代栄えむと東なるみちのく山に金花咲く」
といふ鉱山の歌を撰んだし、畏奥麻呂の
 「大宮の内まで聞ゆ網引すと網子とゝのふる海人の呼び声」
は漁業であるし、賀茂真淵の
 「大御田のみなわも泥もかきたれて

とるや早苗は我が君の為」
は農業を歌つたものである。

 

 

皇は神にしませば天雲の雷の上に廬せるかも
                     柿本人麿
【通釈】持統天皇様は現人神でいらつしやる故、天雲高く聳えるその名も神々しい雷岳に、離宮を置かれて、御宿りになつていらつしやいますよ。
【作者】我が国で一番古い歌集である万葉集の中で、最も有名な歌人。持統天皇 文武天皇の御代にお仕へした。和銅の頃岩見の国で客死した。


大宮の内まで聞ゆ網引すと網子とゝのふる海人の呼び声
                     長奥麻呂
【通釈】さあ、これから大漁の網を引くのだと、大声で漁夫達を集める海人の元気のよい呼声が、行在所の内にまで長閑に頼もしく聞えて来る。
【作者】万葉集の歌人。持統天皇 文武天皇の御代の人であるが詳しいことは分らない。

安見しゝわが大王の食国は大倭も此処も同じとぞ念ふ
                     大伴旅人
【通釈】天下中、どんな山奥でも海辺の果でも何処でも、天皇の御治めになる有難い日本の土地であるから、都の大和の国も今住んでゐるこの太宰府も、同じ様に住み心地よく思はれる。
【作者】武人大伴家の先祖、聖武天皇の御代に太宰府の帥となる。歌人。天平三年従二位大納言にて薨じた。


千万の軍なりとも言挙せず取りて来ぬべき男とぞ念ふ
                     高橋虫麻呂
【通釈】貴方は今出征されるが、私は貴方を、千万人の大軍でもかれこれ言はず、直に勝ち破つて来る程の勇士であると信じてゐる。どうか御国のためしつかりやつて来て下さい。
【作者】聖武天皇の御代の人。万葉歌人であるが詳しいことは分らない。


士やも空しかるべき万代に語り続ぐべき名は立てずして
                     山上憶良
【通釈】天晴れ男子たるものが、後の世まで何時までも語り伝へる事のできる高名を立てないで、このまゝ詰らなく死んでよからうか、名を立てないで死ぬのは残念だ。
【作者】歌人。文武天皇の御代に唐に渡る。聖武天皇の東宮時代に侍講となり後に筑前守となる。


あしびきの山にも野にも御猟人得物矢手挟みみだれたり見ゆ
                     山部赤人
【通釈】吉野の野にも山にも、天子様の御狩のお供の人達が、銘々手に手に狩用の失を持ち構へ、あんなにもまあ勇ましく勢よく散らばり走つてゐる。
【作者】藤原朝中頃から、奈良朝聖武天皇の御代まで生きてゐた歌人。万集集に四十九首のつてゐる。


旅人の宿りせむ野に霜降らば吾が子羽ぐくめ天の鶴群
                     遣唐使使人母
【通釈】旅行になやむ旅人が、かりの宿を取る野原に、霜が降りて寒くて堪らない時には、空飛ぶ子供思ひで名高い鶴の群よ、どうか旅先で寒さに困る私の子供を、お前の翼で暖めてお呉れ。
【作者】唐へ行く使者の母。委しいことは分らないが、一通り彼の国の文学も心得てゐたらしい。


わが背子は物な念ほし事しあらば火にも水にも吾無けなくに
                     安倍女郎
【通釈】私の夫よ、どんな一大事の時にでも、決して御心配は入りませぬ。たとへ、何事が起つても、その時には火の中でも水の中でも、私が離れずにお供を致します故。
【作者】伝不明、名もなき武人の妻であらうが、夫をして後顧の憂なからしめるけなげさに感服する。


丈夫の弓上振り起し射つる矢を後見む人は語り継ぐがね
                     笠金村
【通釈】勇士の私が、力一杯弓を引しぼつて射立てた記念の矢であるから、此から後、この山を越す人々は、木の幹にささつた矢の様を見て、私の強力振りを世間に話し伝へよ。
【作者】聖武天皇の御代の人。近江の塩津山を越えた時の歌である。


御民吾生ける験あり天地の栄ゆる時に遇へらく念へば
                     海犬養岡麻呂
【通釈】御芽出度いよく治まつた、天地間の万物迄御恵みを受けて栄えるこの大御代に、生れ合せた事を思へば、全く天子様の御民の一人として生れ甲斐があつた。有難い事だ。
【作者】伝記不明。奈良時代の人で万葉集にのつてゐる。


大君の命かしこみ大船の行きのまに/\やどりするかも
                     雪宅麻呂
【通釈】天子様の御命令をたゞ/\畏く頂いて、遠い朝鮮までも海を越えて、船の進むのに任せ、どんな荒磯にも旅寝することであるよ。
【作者】天平八年に新羅へ遣された使臣の一人。君命を奉じて使する者の決心がよく表はれてゐる。


あをによし寧楽の京師は咲く花の薫ふがごとく今さかりなり
                     小野老
【通釈】あをによしは奈良にかゝる枕詞、わが奈良の都は、丁度満開の桜の花が咲き匂ふ様に、たゞ今真盛りに栄えてゐることであるよ。
【作者】元正天皇聖武天皇の御代の人。天平九年に太宰大弐となつた。太宰府は九州ををさめる役所である。


降る雪の白髪までに大皇に仕へまつれば貴もあるか
                     橘諸兄
【通釈】今降る雪の様に、自分の黒髪が白くなるまでも、天皇様に永くお仕へ申して、御恩を戴く事を思ふと、誠に貴く有難いことである。
【作者】葛城王といふ。天平八年橘姓を賜ふ。母は橘犬養三千代。天平宝字元年薨ず。官従一位左大臣。


天の下すでに覆ひて降る雪の光を見れば貴くもあるか
                     紀清人
【通釈】世界中を全く一面に閉して、降り積る雪を見ると、清く美しい光が一杯に充ちて、何とも貴いすが/\しい気持がする事だなあ。
【作者】和銅七年国史撰ぶ。文章博士。天平勝宝五年に死んだ。本歌は万葉集巻十七に載つてゐる。


新しき年のはじめに豊の年しるすとならし雪の降れるは
                     葛井請会
【通釈】新年の初に当り、こんなに見事に大雪の降つたことは、豊年のお芽出度い前触であらう。誠に結構なことである。「ならし」はなるらしの約。
【作者】天平年間に相模守に任ぜられた事位しか分らない。本歌は万葉集巻十七に載つてゐる。


天皇の御代栄えむと東なるみちのく山に金花咲く
                     大伴家持
【通釈】天子様の大御代の栄まさんしるしに、東国の陸奥の山に黄金の花が見事に咲いたことである。金が沢山掘り出された。おめでたい極みである。
【作者】大伴旅人の子で歌人。諸国の国司、兵部大輔を歴任し、延暦四年薨ず。七十才。大輔は省の次官をいふ。


唐国に往き足らはして帰り来む益荒猛夫に御酒たてまつる
                     多治比鷹主
【通釈】今度朝廷の御用で支那へ行き、十分に任務を果して、無事にお帰りになられる筈の勇ましい男子である貴方に、先づ前祝の御酒を差上げまする。
【作者】天平時代の人、中納言多治比広足の一族で、天平宝字元年に橘奈良麿の事件に連坐した。


大君の命かしこみ磯に触り海原渡る父母を置きて
                     丈部人麻呂
【通釈】私は天子様の尊いお召を有難くお受けして、別れ難い父や母を後に残して津々浦々の荒磯をつたひ遠方の危険な海を勇ましく渡つて行くのだ。
【作者】遠江の国より召された防人(九州の要地を守る兵士)である。詳しいことは分らぬ。


真木柱ほめて造れる殿のごといませ母刀自面変りせず
                     坂田部麻呂
【通釈】私は今より防人となつて、九州の遠い国へ出かけますが、お賀ひをして立派な柱で建てた御殿の様に、何時までもどうかお元気でゐて下さい。
【作者】駿河国の壮丁であつたが召されて九州の防人となつた。


霰降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍に吾は来にしを
                     大舎人部千文
【通釈】防人に召されると、すぐ鹿島の神に武運長久を祈り、皇軍の一人として九州へ来た以上は、どうして尻ごみなどしてをられようか、しつかり御奉公せねばならぬ。
【作者】常陸の国の壮丁であつた。後召されて九州の防人となつた。


今日よりは顧みなくて大君のしこの御楯と出で立つ吾は
                     今奉部与曾布
【通釈】この私は、今日御召を受けた只今から、銃後の何の心配もなく、大君の一兵士として出征するのだぞ。醜の御楯は身分を卑下して言つたことば。
【作者】下野国の壮丁である。召されて防人となつたのである。


天地の神を祈りて幸矢貫き 筑紫の島をさして行く吾は
                     大田部荒耳
【通釈】この私は、天地の八百万の神々に武運長久を祈り、矢を矢入(胡●=タケカンムリに「録」)に入れ、武装勇ましく九州さして出発して行くぞ。
【作者】下野国から召された防人であつた。


ちはやぷる神の御坂に幣奉り斎ふいのちは母父が為
                     神人部子忍男
【通釈】こんな険しい神の御坂で、神様にお供へ物を奉つて、道中の安全と生命の無事とを祈るのは、吾が身が惜しい故ではなく、故郷に残した父や母のためである。
【作者】信濃国の壮丁であつた。孝心の深い人であつたらしい。


翁とてわぴやは居らむ草も木も栄ゆる時に出でて舞ひてむ
                     尾張浜主
【通釈】年を取つた老人の私でも、こんな天地の草木までも皆栄える大御代に会ふ事のできた有難さを思へば、どうして隠居してをられませう、さあ天子様のお側へ出て、お祝の舞を舞ひませう。
【作者】聖武―仁明十代に奉仕した音楽家である。この歌は百十三歳の翁がお召によつて長寿舞を舞つた時の作。作者は撰歌の最年長者である。


海ならずたゝへる水の底までも清き心は月ぞ照さむ
                     菅原道真
【通釈】海でなくても、深く満ちてゐる水の、その水底まで清い様に清らかなわが心は、空の公平なお月様がきつと照らして下さることであらう。
【作者】宇多・醍醐天皇にお仕へし、右大臣となる。時平の讒言により九州太宰府に遷される。今天満天神として祀られる。


山のごと坂田の稲を抜き積みて君が千歳の初穂にぞ舂く
                     大中臣輔親
【通釈】近江の国の坂田から取つた稲穂を、山の如く積んで、それ天子様の千代までのお栄をお祝ひする御料として、御初穂に舂いて奉る。
【作者】天児屋根命の子孫で能宣の子、中臣氏は代々神職である。三条天皇、後一条天皇に仕へ奉つた。


もろこしも天の下にぞ有りと聞く照る日の本を忘れざらなむ
                     成尋阿闍梨母
【通釈】支那の宋の国も又天下の内に違ひない、それ故其処に居ても、照る日の本の国大日本を忘れぬやうにして、而る後外国の文化を学びなさい。
【作者】後三条天皇の御代の人で延久四年宋国に渡つた成尋法師の母である。


君が代はつきじとぞ思ふ神風やみもすそ川のすまん限は
                     源経信
【通釈】吾が君が代は、神風の(神風は伊勢にかゝる枕詞)伊勢の国の御裳裾川の水が、永久に澄んでゐる限り、何時までも続くことと思はれる。
【作者】平安朝時代の人で中納言道方の子である。正二位大納言。博学多才で諸芸に通ず。特に歌匠としては有数の部に属した。


君が代は松の上葉におく露のつもりて四方の海となるまで
                     源俊頼
【通釈】吾が君が代は、千年の緑を変へない松の葉に置く露が、流れ集まつて世界の大きな海になる迄、永久に栄え続くことであるよ。
【作者】大納言経信の子。白河・堀河・鳥羽天皇の御代の人。仕官して左京権太夫、木工頭となつた。金葉集の撰者。


君代にあへるは誰も嬉しきを花は色にも出でにけるかな
                     藤原範兼
【通釈】わが大君の芽出たい御代の春に遇ふことは、何人も嬉しさに堪へられないが、桜の花はその悦びを色にまであらはして、笑みほころびてをりますよ。
【作者】平安朝末期の歌人で官職は刑部卿、従二位である。千載集から後の勅撰集に多くの歌が出てゐる。


み山木のその梢とも見えざりし桜は花にあらはれにけり
                     源頼政
【通釈】山には色々と雑木が茂り、何時もはどれが桜か、枝の先だけを見ても分らなかつたが、春が深くなり花が咲いたので、間違ひなく桜の木だとわかつた。
【作者】武将で和歌にすぐれた。保元の乱に後白河天皇に忠義を尽し、後に以仁王の令旨を奉じ、治承四年平等院で自刃した。


宮柱したつ岩根にしき立ててつゆも曇らぬ日の御影かな
                     西行法師
【通釈】永久に動かない底の岩根に、立派な宮柱を沢山立てゝ御造りになつた伊勢皇大神宮は、天照大紳の少しの曇りもないみ影でおはしますことよ。
【作者】鎌倉時代の歌僧、俗名佐藤義清、後鳥羽上皇に仕へて北面の武士となつた。歌集を山家集といふ。


君が代は千代ともさゝじ天の戸やいづる月日のかぎりなければ
【通釈】君が代が何時までも続くことを、千代と限つては申すまい、天の戸をいで入る月日が、限りなく永久であるやうに、大君の御代は何時までも尽きるときがないから。
【作者】定家の父で鳥羽天皇から土御門天皇まで十代にお仕へした歌人。千載集の撰者。幽玄体の歌風を樹てた。


昔たれかゝる桜の花を植ゑて吉野を春の山となしけむ
                     藤原良経
【通釈】大昔に、どんな人がこんなに美しい桜の花を初めて移し植ゑて、吉野山を春の時節に最もよい山としたのであらうか。
【作者】鎌倉時代の歌人関白九条兼実の子。摂政従一位太政大臣。和歌を定家に学び、後鳥羽上皇に重用せられた。建永元年薨ず、年三十八。


山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも
                     源実朝
【通釈】たとひ山が裂け、大海が干上るやうな時になりましても、大君に対し奉り二心をいだくやうなことはなく一心に忠義の真心をつくし奉ります。
【作者】鎌倉幕府の第三代将軍。右大臣。歌集を金槐和歌集といふ。承久元年鶴岡八幡宮の境内で頼家の子公暁に弑せらる。


曇りなきみどりの空を仰きても君が八千代をまづ祈るかな
                     藤原定家
【通釈】曇りなく晴れ渡つた緑の大空を、仰ぎ見るにつけても、先づ第一に祈られることは、大君の御代が千代八千代に永久に栄まさん事である。
【作者】鎌倉時代の歌人、俊成の子、仁治二年没八十歳。新古今集の撰者。幽玄体の歌風を完成して有心体と称した。


末の世の末の末まで我が国はよろづの国にすぐれたる国
                     宏覚禅師
【通釈】我大日本は、この世の続く限り永久に、世界の国中取りわけ優れた立派な国柄であるぞ。あの蒙古共の夢にも侵入することのできない神国である。
【作者】京都西賀茂の正伝寺等の住職。元の使者が来朝した時、蒙古調伏の祈祷を行ひ願文の末尾にこの歌をかいた。


西の海よせくる波も心せよ神の守れるやまと島根ぞ
                     中臣祐春
【通釈】我国を攻めてくる蒙古の軍よ、我国をどんな国柄と思つてゐるか、神のお守りになる尊い日本を知らぬか、見そこなふなよ。
【作者】鎌倉末期の神官で歌人、春日若宮の神主、新後撰以降の勅撰集の作者である。正中元年卒去。


勅として祈るしるしの神風に寄せくる浪はかつ砕けつゝ
                     藤原為氏
【通釈】神国日本に攻めよせて来た蒙古の軍は、勅使の祈られた神風の一吹きに依つて、忽ち砕け去つたのである。
【作者】定家の孫、続後拾遺集の撰者、正二位大納言、弘安九年死、六十五歳。異母弟為相と領地争ひが起つて、阿仏尼(為相の母)が十六夜日記を書いた。


思ひかね入りにし山を立ち出でて迷ふうき世もたゞ君の為
                     藤原師賢
【通釈】世の中が乱れたので、決心をして僧衣を脱ぎすて、後醍醐天皇の御許に馳せ参じ、色々と浮世で困難をするのも、たゞ大君の御為である。
【作者】後醍醐天皇にお仕へし、正二位大納言になる。元弘の乱に北条方に捕へられ下総の配所にて没す。年三十二歳。


命をばかろきになして武士の道よりおもき道あらめやは
                     源致雄
【通釈】生命を髪の毛程にしか思はない武士にとつでは、武士道より重いものは他にあらうか。全くないのである。『やは』は反語である。
【作者】源氏の一族の鎌倉時代の武人であるが、勅撰作者部類にも『五位』とのみあるだけで委しいことは分らない。


限なき恵みを四方にしき島の大和島根は今さかゆなり
                     藤風為定
【通釈】宏大無辺な大君の大御代の有難いお恵が、日本国中の隅々にまで行き渡つて、わが大日本は只今が栄の真盛である。
【作者】新千載集の撰者、定家の子孫。正二位、権大納言となり、延文五年、七十三にて没した。二条為定といつてゐる。


君をいのる道にいそげば神垣にはや時つげて鶏も鳴くなり
                     津守国貴
【通釈】大君の御安全をお祈り申さうと思つて、山道を急いで来ると、神社のほとりで、早や夜明の刻を告げて鷄が鳴いてゐることよ。
【作者】津守家は代々住吉神社神主である。国貴は吉野朝の忠臣で、後村上天皇は住吉に皇居を置かせ給うた。


ものゝふの上矢のかぶら一筋に思ふ心は神ぞ知るらむ
                     菊池武時
【通釈】武士の背に負ふ数多の矢の中上差のかぶら矢は一本しかない如く、一念からの決心は、他人は知らなくても、神様はきつと御存知のことと思ひます。
【作者】九州肥後の人。元弘三年北条英時を博多に改めて戦死す、年四十二歳。別格官幣社菊池神社に祀らる。
(「菊地」を「菊池」と改めた)


かへらじとかねて思へば梓弓なき数に入る名をぞとゞむる
                     楠木正行
【通釈】弓で射た矢は再びかへつて来ないが如くに我々も再び生きて帰ることはないから、これから戦場へ行くに先立ちて、如意輪堂の壁板に記念として、戦死する一族の名を書きとめるのである。
【作者】正成の子、正平三年高師直の軍と飯盛山に戦ひ四条畷で戦死す。今別格官幣社四条畷神社に祀られる。


鶏の音になほぞおどろく仕ふとて心のたゆむひまはなけれど
                     北畠親房
【通釈】夜明の鶴の鳴声でやはり目をさましたのは、思はず寝入つてゐたからであらう、天皇様にお仕へするため、少しも油断はせずにゐたのであるが、さては眠つてゐたか、申しわけのないことである。
【作者】顕家の父で吉野朝の忠臣、神皇正統記の著者。正平九年薨ず、年六十二。今別格官幣社阿倍野神社に祀られる。


いのちより名こそ惜しけれ武士の道にかふべき道しなければ
                     森迫親正
【通釈】武士道の外には、之と代る道は全くないから、自分は生命よりも己の名がすたることを残念に思ふ。武士としての自分は、たとへ命をすてても武士道の為に生きんとするのである。
【作者】戦国時代の九州の武士である。大友義鎮の部下として合志常陸介を攻めたが、花々しく散つた。年十七。作者はこの撰歌の最年少者である。


あふぎ来てもろこし人も住みつくやげに日の本の光なるらむ
                     三条西実隆
【通釈】はるかの外国から日本の立派さをしたつて、支那人さへも我国に永久に住み移ることである。これこそ誠に我が日本の光、皇威のみ光と言ふものであらう。
【作者】一代の学者、天文六年没、八十三歳、贈従一位内大臣。著書に源氏物語細流抄、実隆公記、雪玉集等がある。


あぢきなやもろこしまでもおくれじと思ひしことは昔なりけり
                     新納忠元
【通釈】戦争があれば、唐の国迄も人には負けず従軍しようと思つてゐたが、それは昔の若い時にできたことで、今は年を取つて御主人のお供もできない。さて/\残念な世の中だ。
【作者】島津家に仕へた武将で慶長十五年没。豊臣秀吉が九州征伐の時は抗戦よくつとめてあくまでも屈しなかつた。火縄の光で古今集を勉強したといふ。


富士の嶺に登りて見れば天地はまだいくほどもわかれざりけり
                     下河辺長流
【通釈】富士山の高きに登つて立ち眺めると、天地の様子はまだ別れぬか、分れたか、どうやら天地の開けはじめの、神代そのまゝの様な気がするよ。
【作者】本名は小崎具平、元禄時代の国学者、大和の人である。貞享三年没、年六十三、著書に万葉集管見がある。


行く川の清き流れにおのづから心の水もかよひてぞすむ
                     徳川光圀
【通釈】流れ行く清い河にのぞんでみると、自分の心も、この清き流の如く、少しのにごりもけがれもなく、おのづからきよめられるのを覚える。
【作者】水戸の藩主、大日本史を撰ばしめ、彰考館をたて大楠公の墓を修めなどした。夙に尊皇を唱へ名分を正した人である。


ふみわけよ日本にはあらぬ唐鳥の跡を見るのみ人の道かは
                     荷田春満
【通釈】国学にあらざる、唐鳥の跡、即ち支那文字(漢字)ばかりを見つめて行くのが、果して日本人の道であらうか、よく/\考へてふみ迷はないやうにすべきである。
【作者】山城の伏見稲荷の神官の家に生る。皇道復古の学に志した。国学四大家の一人。享保年中吉宗に仕へた。元文元年没。


大御田の水泡も泥もかきたれてとるや早苗は我が君の為
                     賀茂真淵
【通釈】広いたんぼの中では、農夫たちは多ぜいで、降りしきる雨の中を、手肱に水沫をかいて早苗をとつてゐるが、あの田植の勤労も結局は我が大君の御ためである。
【作者】遠江浜松岡部の人。国学四大人の一人である。明和六年江戸で没した。著書に万葉集考、冠辞考、語意考等がある。


ものゝふの兜に立つる鍬形のながめ柏は見れどあかずけり
                     田安宗武
【通釈】武士の冠つてゐる兜の前立の、鍬形の所にある、ながめがしはの模様は、実に優美であつて、いくら見てゐても、あきないことであるよ。
【作者】徳川吉宗の次子、荷田春満、賀茂馬淵を崇んだ。明和八年に薨ず。年五十七。家集を天降言といつた。


すめ神の天降りましける日向なる高千穂の嶽やまづ霞むらむ
                     楫取魚彦
【通釈】立春近くになつて、山々は霞みそめるが、天孫降臨の日向の高千穂嶽こそ、先づ最初にかすみそめる事であらうと関東のはてから、遥かに想ひやる事であるよ。
【作者】下総の香取郡佐原の人。真淵の門人で語学を究め、歌は古体を善くした。天明二年に没。著書に古言梯がある。


天の原てる日にちかき富士の嶺に今も神代の雪は残れり
                     橘枝直
【通釈】照る陽に近く、大空にそびえてゐる富士の高嶺には、今もなほ、神代ながらの雪が残つてゐて、富士は如何にも森厳な崇高な霊山である。
【作者】伊勢の人、江戸に出て大岡越前守の与力となつた。賀茂真淵に教を受けた。天明五年九十四で没。家集を『あづま歌』といふ。


千代ふりし書もしるさず海の国のまもりの道は我ひとり見き
                     林子平
【通釈】どんな古の書物にも、海国日本の防衛についての策は、記してゐない。われ子平ひとりだけが、初めて海防をゆるかせにすべからざる事を知つた。
【作者】寛政三年に、海国兵談を著した。我が国最初の海防を憂へた人である。寛政四年幕府は子平を仙台に禁錮した。翌年没、年五十六。


我を我としろしめすかやすべらぎの玉のみ声のかゝる嬉しさ
                     高山彦九郎
【通釈】草深い田舎侍のわれを、高山彦九郎と思召し、親く玉音を下し給うたが、これはまた何といふ破格の光栄で、忝くおそれ多いことであらう。
【作者】寛政の頃の人。上野の生れで勤皇家。天下を周遊して尊皇の大義を唱へ、寛政五年時勢をなげいて久留米で切腹した。


あし原やこの国ぷりの言の葉に栄ゆる御代の声ぞ聞ゆる
                     小沢蘆庵
【通釈】豊葦原瑞穂の国の風俗歌、即ち和歌の中には、生成発展してゆく有難い御代のすがたがあらはれてゐて、そこからは栄ゆる御代をことほぐ声がきこえて来るよ。
【作者】尾張の犬山の人で、京都に出て和歌の一派を興した。京都和歌四天王の一人である。歌集に六帖詠草がある。


しきしまのやまと心を人とはゞ朝日ににほふ山ざくら花
                     本居宣長
【通釈】敷島の大和心、即ち日本精神とはどんなものかと、人がたづねたならば、私は朝日をうけててりはえてゐる山桜の如く爛漫と美しいものであると答へよう。日本精神をはじめて物に形容した歌である。
【作者】伊勢松坂の人で、国学四大人の一人である。かの古事記伝は不朽の名著で、実に三十五年の日子を費したものである。


初春の初日かゞよふ神国の神のみかげをあふげ諸
                     荒木田久老
【通釈】もろ人たちよ。初春の初日が、さわやかにこの神の国にかがやきわたつてゐるが、諸君らは、初日をあふぐと共に神さまの御霊をあふぎたつとびなさい。(文字の重ね方 は か み に注意)
【作者】伊勢外宮の祀官の家に生まる。真淵の高弟で、古典語学に精しかつた。文久元年に没、著書に記紀歌解、祝詞考枝訂等がある。


八束穂の瑞穂の上に千五百秋国の秀見せて照れる月かも
                     橘千蔭
【通釈】ふさ/\と稔つた千町田の稲穂の波に、月はさやかに照り渡つてゐるが、この月下に見ゆる国のまほろば(山々に囲れた平地)も、何といふすぐれた土地であらう。「秀」はひいでてゐること。
【作者】江戸の人、枝直の子で真淵の門人である。歌文をよくし書画にも巧であつた。著書には万葉集略解、うけらが花等がある。


香具山の尾上に立ちて見渡せば大和国原早苗とるなり
                     上田秋成
【通釈】建国の歴史を想はせる、大和平野の天の香具山のいただきに立ちて見渡すと、くにたみ達は三千年後の今日、やはりせつせと田植をしてゐるのである。
【作者】大阪の人。歌文をよくし戯曲にも巧みであつた。文化六年に没した。その著雨月物語、春雨物語は有名である。


かけまくもあやに畏きすめらぎの神のみ民とあるが楽しさ
                     栗田土満
【通釈】私はことばに出して申すも畏れ多い、大君の御治め遊ばされる、神国の御民であることが、実に忝けない。今伊勢神宮を拝み奉つて、しみ/゛\とこの忝さを知つた。
【作者】遠江城飼郡の広幡八幡宮の神官である。賀茂真淵について古学を学んだ。和歌も古体を本体とした。家集に岡廼屋歌集がある。


遠つ祖の身によろひたる緋縅の面影浮ぷ木々のもみぢ葉
                     蒲生君平
【通釈】木々の紅葉を見ると、遠い先祖の、蒲生氏郷、緋縅の鎧に身を固め銀鯰の兜を戴いた、その英姿を髣髴とおもひうかべることである。
【作者】宇都宮の人。蒲生氏郷の後裔である。皇陵のすたれさせ給ふを憂へ、諸国を巡りてこれを調べ山陵誌を著した。


大日本神代ゆかけて伝へつる雄々しき道ぞたゆみあらすな
                     賀茂季鷹
【通釈】この道(神道)は、大日本の神代の時代から、次々と伝へてきたいさましい道であるぞ。だからまた次の代に伝へて行かねばならぬ。途中で怠りうむやうな事があるな。
【作者】上賀茂神社の神官である。狂歌にも有名だつた。天保十三年に没した。年九十一、家集を雲錦集といふ。


青海原潮の八百重の八十国につぎてひろめよ此の正道を
                     平田篤胤
【通釈】青海原潮の八百重は八十国の序である。皇国の道は万国を導くべき正道なのであるが、この正道をこそ、次々と多くの国にひろめて、御稜威に浴せしめてやるべきである。
【作者】秋田の人、国学四大人の一人である。佐竹侯に仕へた。著書に神字日文伝、古史徴等がある。天保十四年没、年六十八。


一方に靡きそろひて花すゝき風吹く時ぞみだれざりける
                     香川景樹
【通釈】花すゝきは平素はおもひおもひの方向に、向いてゐるけれ共、一旦風が吹くと忽ち一致して、ことごとくが同じ方向に靡きうごく事であるよ。(我が国民性を歌つたもの)
【作者】鳥取の人、桂園派の歌風を樹つ。門下生は一千余名に上つた。天保十四年没。著書に桂園一枝、古今集正義等がある。


安見しゝわが大君のしきませる御国ゆたかに春は来にけり
【通釈】やすみしし(心安らかに天の下をしろしめす)わが大君の御治めあそばす皇国は、物みな足りて何の不足もない有難い国である。この国にやすらかに春が来たよ。
【作者】高知の人、商家に生れた。本居大平や鹿持雅澄に習つたらしい。万葉調の歌をよくした。嘉永三年没、年七十一。


かきくらすあめりか人に天つ日のかがやく邦のてぶり見せばや
                     藤田東湖
【通釈】かきくらすは雨といふための語。あの尊大なあめりか人に対して、天子さまの御稜威のひかりかゞやいてゐる日本の風俗習慣のりつぱさを見せてやりたいものだ。
【作者】水戸学派の一人で、勤皇家で徳川斉昭を輔佐した。安政二年に没した。著作には正気歌、回天詩史等がある。


我が国はいともたふとし天地の神の祭をまつりごとにて
                     足代弘訓
【通釈】わが国は非常に尊い国である。何故とならば、天神地祇をお祀り申上ける、祭といふことを、政治の第一の要素としてゐるからである。
【作者】伊勢の人で、神宮の神官である。その著国史人名部類は仁孝天皇の叡覧を蒙つた。安政四年没、年七十三。海人の囀は家集である。


君がため花と散りにしますらをに見せばやと思ふ御代の春かな
                     加納諸平
【通釈】大君のおんために、自分の命をさゝげ奉つて、りつぱに戦死した忠臣に、このよく治つた、天子さまの御代をば、見せてやりたいものであるよ。
【作者】徳川時代の人で、遠江に生れ、和歌山藩の士であつた。著書に枕草紙や古今集の解釈がある。


大君のためには何か惜しからむ薩摩のせとに身は沈むとも
                     僧月照
【通釈】倒幕のことにこの身をささげまつつてきたが、幕府の役人に追はれて身を薩摩の海に投じて死ぬることになつた。しかし、大君のためだから命は少しも惜しくはない。
【作者】法相宗の僧で大阪の人、十五で仏門に入り勤皇の志があつた。安政五年西郷隆盛と相いだいて鹿児島の海に投じた。


大君の宮敷きましゝ橿原のうねびの山の古おもほゆ
                     鹿持雅澄
【通釈】うねび山を見ると、神武天皇が、橿原の地に皇居をお定めになり、宮殿をお造営遊ばされた、大昔のことがしのばれて、まことにおそれ多いしだいである。
【作者】幕末の国学者で土佐の人、貧乏な家に生れたがよく勉強し、藩の文武館教授となつた。著書として『万葉集古義』は名高い。


君が代を思ふ心のひとすぢに吾が身ありともおもはざりけり
                     梅田雲浜
【通釈】天皇の御代が栄ますことのみを、一心になつて祈つてゐる故に、自分のことはすつかり忘れてゐる。即ち一身を忘れて、天皇の御運の栄えまさんことに専心申してゐる。
【作者】若狭小浜の人で、尊攘を論じ和漠の学にも通じてゐた。安政の大獄に小倉藩邸に幽囚せられ、安政六年病死した。


大君の御贄のまけと魚すらも神代よりこそ仕へきにけれ
                     石川依平
【通釈】天子様の御膳部の官となつて、魚でさへも、神代の大昔より、お仕へ申してきたのであるよ。(御膳部の官とは、天皇のきこしめし給ふものをおあづかりする役目。)
【作者】遠江の人で、粟田土満の門人である。長歌に巧であつた。家集を『柳園詠草』といふ。安政六年に没した。


身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし日本魂
                     吉田松陰
【通釈】この身は、たとへ武蔵野につゆのごとくはかなく消えさつて行くとも自分のもつてゐる日本だましひだけは、この世に残して置きたいものである。
【作者】長州の人で、安政元年米艦を訪ひ、その罪をとはれて藩に蟄居を命ぜらる。後松下村塾を開いて勤皇を説いた。安政の大獄に斬らる。


岩が根も砕けざらめや武士の国の為にと思ひ切る太刀
                     有村治左衛門
【通釈】み国の為とせつぱつまつて我慢しきれず抜いた太刀は、大きな岩でも砕かずに置かうか、どんな大きな岩でも、きつと砕いてしまふことであらう。
【作者】薩摩藩の士、桜田門外の変に一刀のもとに井伊直弼を殪したが、己も重傷をうけ遠藤但馬守辻番所前に於て、割腹して果てた。


天ざかる蝦夷をわが住む家として並ぷ千島のまもりともがな
                     徳川斉昭
【通釈】遠くはなれてゐる北海道の地を自分の封地として、開拓鎮撫し外国の艦がしばしば侵入してくるのを駆逐し、あの千島列島のそなへとなりたいものである。
【作者】水戸の藩主、尊皇攘夷論者。弘道館を設けた。井伊直弼の為に禁錮にあつた。諡を烈公といふ。


天皇に仕へまつれと我を生みし我がたらちねぞ尊かりける
                     佐久良東雄
【通釈】天皇お仕へ申せといつて、私をこの皇国に生んで下さつた、私の親は、何といふたふとい方なのであらう。しみじみと感謝せずには居られない。
【作者】常陸の人、仏門にあつたが後還俗して京都に入り、皇典を説いた。又和歌に托して勤皇の情をのべた。


鹿島なる●(=「音」+「一+巾」)霊(ふつのみたま)の御剣をこゝろに磨ぎて行くはこの旅
                     高橋多一郎
【通釈】水戸武士たる我は鹿島神社に鎮まりいます武甕槌命が天より携へましましたる、ふつのみたまの神剣は手に取る由もないが、心をば破邪の剣ととぎすまし、この度の旅に出たことであるよ。
【作者】水戸の藩士、桜田門外の変の主謀者であるが、変には加はり得ず、大阪にのがれ、天王寺に於て父子相並んで自刃した。


朝廷辺に死ぬべきいのちながらへて帰る旅路の憤ろしも
                     有馬新七
【通釈】間部下総守を京都にて刺し、京都近くで討死すべき身であつたのに、事成らずして藩主から帰国を命ぜられ、帰つて行くこの旅は、実に腹立たしくてならぬ。
【作者】鹿児島の藩士、寺田屋騒動の主謀である。伏見の寺田屋で主命を帯びて鎮撫にきた道島五郎兵衛と乱闘し斃れた。


君がため命死にきと世の人に語り継ぎてよ峰の松風
                     松本奎堂
【通釈】己の最後を見とどける味方とてなければ心なき峰の松風に依頼するよ。松本は大君のために、戦死したのであると、後世の人々に、次から次へと語りつたへてくれ。
【作者】三河の苅谷藩の士である。幕末に同志と共に中山忠光を奉じて、皇事に奔走したが、文久三年九月最後の戦闘に自殺した。


天皇の御楯となりて死なむ身の心は常に楽しくありけり
                     鈴木重胤
【通釈】大君のしこのみたてとなり奉つて天子さまをおまもり申し上げ、いつにても一命を捧げ奉るのを本望としてゐる私の心は、常にたのしいものであるよ。
【作者】幕末の国学者で淡路の人である。祝詞講義、日本書紀伝は、彼の畢生の努力を払つた著書である。門下に国士多し。文久三年八月、刺客に殺された。


曇りなき月を見るにも思ふかな明日はかばねの上に照るやと
                     吉村寅太郎
【通釈】今宵は一点のくもりもなき九月十三夜の光をうけてゐるが、これからは毎夜月はかけはじめる。そのやうに自分の命もいつ縮るか分らない。しかし我が心の清きがやうに屍を照らす月の光も清いことであらう。
【作者】土佐の郷士である。天誅組の一人として勇剛を称せられた。文久三年九月、陣が陥るに及んで、北を向き再拝して自殺した。


しづたまき数ならぬ身も時を得て天皇が御為に死なむとぞ思ふ
                     児島草臣
【通釈】しづたまき(いやしい者の手にまとふ玉)つまらぬわが身ではあるが時節到来をまつて(坂下門外の挙をさす)大君の御為につくし奉らうと決心してゐる。
【作者】下野宇都宮の人である。藤田東湖に学ぶ。坂下の変にその資金を作つた。後獄に捕はれ病死した。母妻ともに和歌に秀でた。


青雲のむかふす極すめらぎの御稜威かゞやく御代になしてむ
                     平野国臣
【通釈】はるかに遠く見やれば、青雲が天地に向ひて伏したる如く見えるが、この天地の相連なる果までも尽く大君の御稜威のあまねくゆきわたる有難い国に致しませう。
【作者】筑前福岡の藩士である。国学に長じ故実にも通じてゐた。文久三年、大和義挙に際して生野銀山に挙兵したが、失敗し斬られた。


ますらをが思ひこめにし一筋は七生かふとも何たわむべき
                     渋谷伊予作
【通釈】立派な男子たるものが、一づに思ひこめた報国の誓ひは、七度生れ変つてきても、どうしてたゆむことがあらうか。幾度生れ変つてきても決して屈することはない。
【作者】下館の藩士。武を好み経史に通じてゐた。大和義挙に際して中山忠光を助けた。元治元年同志と共に斬らる。


大君の御楯となりて捨つる身と思へば軽きわが命かな
                     津田愛之助
【通釈】大君のしこのみたてとなり奉つて、死する命であると思ふと、自分のいのちといふものは、少しも惜しくない、まるで毛のやうに軽く思はれるよ。
【作者】肥前対州藩士。元治元年六月山口藩の忠勇隊に参加して、山城国天王山に屯営し京都の変に鷹司邸外に戦死す。年十八。


みちのくのそとなる蝦夷のそとを漕ぐ舟より遠く物をこそ思へ
                     佐久間象山
【通釈】陸奥の国から外の北海道の国の、その外の千島列島の海を漕ぐ船よりもつと遠い北方の海洋の事が気にかゝる。即ち海防を厳重にしなくてはならないと将来の事を憂へる。
【作者】信州の人、幕末の勤皇家である。しばしば海防の策を幕府に献じた。元治元年、開港論をとなへて刺客の手に殺された。


取り佩ける太刀の光はものゝふの常に見れどもいやめづらしき
                     久坂玄瑞
【通釈】腰にさしてゐる太刀の光といふものは武士たる自分は、日毎見てゐる所のものではあるけれ共、優雅なる気品と、儼乎たる気魄があつて、いよ/\めでたく新である。
【作者】長州侯の医者、攘夷即行の為に奇兵隊五千人を得た。長州の勢力が一掃されて後、蛤御門の挙に参加したが、銃創を受け身投した。


君が代はいはほと共に動かねばくだけてかへれ沖つしら浪
                     件林光平
【通釈】大君のお治め遊ばされるこの御代は、巌のやうにゆるぎのないものである。だから押し寄せてくる沖の白波(我国へ寇する国)よ、さつさと砕けてかへれ。
【作者】摂津伊丹の人、もと僧であつたが国学を修め、天誅組敗れるや、捕へられて京都の獄舍で斬られた。


大山の峰の岩根に埋めにけりわが年月の日本だましひ
                     真木和泉
【通釈】私が永年鍛へ上げて大切に守つてきた大和魂は、この度戦に破れていよ/\討死することになつた故、この天王山に我が肉体とともに埋めることになつた。「岩根」は岩のそば。
【作者】筑後久留米の人で神官である。会沢安に師事した。蛤御門の戦に敗れて天王山に退き、元治元年七月同志と共に自刃した。


武夫のたけきかゞみと天の原あふぎ尊め丈夫のとも
                     平賀元義
【通釈】武士たるものにとつては楠正成卿をば雄々しい手本であると思つて
天の原の如くに仰ぎ尊め。この歌は左近衛中将橘朝臣正成卿を題として詠んだものである。
【作者】江戸時代末期の国学者、備前岡山藩士で、万葉調の歌を詠じた。また古学を子弟に教へた。慶応元年没す。


片敷きて寝る鎧の袖の上に思ひぞつもる越の白雪
                     武田耕雲斎
【通釈】軍営で鎧の袖を片敷いてねても、国家の将来や同志の運命のことを思ふと夢も結べず、袖の上に越路の雪が積るが自分の苦しい想ひも積ることである。
【作者】水戸正党の棟梁である。元治元年姦党を筑波山に破つたが、慶応元年二月、新庄に於て幕軍にせまられて降を請ひ、刑せらる。


大君の御旗の下に死してこそ人と生れし甲斐はありけれ
                     田中河内介
【通釈】人と生れてきて、最も生甲斐のあることは、大君のみたてとなり奉り錦のみはたのもとで、大君の万歳をいのり奉つて、につこりと笑つて死んで行くことである。
【作者】但馬の人で中山家の臣であつた。寺田屋騒動の後、日向細島の付近で義挙をはかつた責任者として斬られた。


武士のやまと心をより合せたゞひとすぢの本綱にせよ
                     野村望東尼
【通釈】諸国の武士たちは大君の御為に尽すといふ日本精神をより合せて、一本の大綱とせよ。さうする時に所謂一億一心で、如何なる困難をも克服することが出来るものである。
【作者】九州の人、野付貞貫の妻で望東子といふ。夫の死後剃髪した。しばしば志士と画策した罪で姫島に投獄され、後高杉等に救はれた。


後れても後れてもまた君たちに誓ひしことをわれ忘れめや
                     高杉晋作
【通釈】死なばもろともと誓つた同志は、次から次へと困難に殉じて行つて自分だけが死におくれてしまつた。しかし自分は同志諸君と固く約束したことは決して忘れはしない。
【作者】吉田松陰の門。仏艦砲撃事件には奇兵院を組識統監した。幕府征長の軍を起すや、病躯を押して反撃督軍したが竟に病死した。


男山今日の行幸の畏きも命のあればぞをろがみにける
                     大隈言道
【通釈】畏くも孝明天皇は攘夷御祈願のため男山八幡宮に行幸遊ばされたが、臣言道も、長生が出来たればこそ、この盛儀を拝みたてまつる光栄に浴する事が出来た。感激の極みである。
【作者】江戸末期の歌人。書も漠学も巧で晩年福岡市外今泉村で子弟を教へた。浪華にも七年あまり住んだ事がある。明治元年没。


春にあけて先づみる書も天地のはじめの時と読み出づるかな
                     橘曙覧
【通釈】あら玉の年の初めになつて、最初にひもとく書物は、『天地のはじめの時―』と書きおこしてゐる古事記で、元旦の読書始めはこれにまさるよい書物はない。
【作者】福井の人、宣長に私淑した。慷慨の士で大義名分をとなへた。明治元年没、著書には『志濃夫廼舎歌集』『橘曙覧全集』がある。

 

 

愛国百人一首(アイウエオ)順


  〔ア〕
あし原やこの国ぶりの言の葉に栄ゆる御代の声ぞ聞ゆる
あしびきの山にも野にも御猟人得物矢手挟みみだりたり見ゆ
あぢきなやもろこしまでもおくれじと思ひしことは昔なりけり
あふぎ来てもろこし人も住みつくやげに日の本の光なるらむ
天ざかる蝦夷をわが住む家としてならぶ千島のまもりともがな
天地の神を祈りて幸矢貫き筑紫の島をさして行く吾は
天の原てる日にちかき富士の嶺に今も神代の雪は残れり
天の下すでに覆ひて降る雪の光を見れば貴くもあるか
新しき年のはじめに豊の年しるすとならし雪の降れるは
青海原潮の八百重の八十国につぎてひろめよこの正道を
青雲のむかふすきはみすめらぎのみいつかゞやく御代になしてむ
あをによ寧楽の京師は咲く花の薫ふがごとく今さかりなり
霰降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍に吾は来にしを

  〔イ〕
いのちより名こそ惜しけれ武士の道にかふべき道しなければ
命をはかろきになして武士の道よりおもき道あらめやは
岩が根も砕けざらめやものゝふの国の為にと思ひ切る太刀

  〔ウ〕
海ならずたゝへる水の底までも清き心は月ぞ照らさむ

  〔オ〕
翁とてわびやは居らむ草も木も栄ゆる時に出でて舞ひてむ
後れても後れてもまた君たちに誓ひしことをわれ忘れめや
天皇に仕へまつれと我を生みし我がたらちねぞ尊かりける
大君のためにはなにか惜しからむ薩摩の瀬戸に身は沈むとも
大君の命かしこみ磯に触り海原渡る父母を置きて
大君の命かしこみ大船の行きのまに/\やどりするかも
天皇の御楯となりて死なむ身の心は常に楽しくありけり
大君の御楯となりて捨つる身と思へば軽きわが命かな
大君の御贄のまけと魚すらも神代よりこそ仕へきにけれ
大君の御旗の下に死してこそ人と生れし甲斐はありけれ
大君の宮敷きましゝ橿原のうねびの山の古おもほゆ
皇は神にしませば天雲の雷の上に廬せるかも
大御田のみなわも泥もかきたれてとるや早苗は我が君の為
大宮の内まで聞ゆ網引すと網子とゝふる海人の呼び声
大日本神代ゆかけてつたへつる雄々しき道ぞたゆみあらすな
大山の峰の岩根に埋めにけりわが年月の日本だましひ
思ひかね入りにし山を立ち出でて迷ふうき世もたゞ君の為

  〔カ〕
かきくらす亜米利加人に天つ日のかゞやく国のてぶり見せばや
限なき恵みを四方にしき島や大和島根は今さかりなり
香具山の尾上に立ちて見渡せば大和国原早苗とるなり
かけまくもあやに畏きすめらぎの神のみ民とあるが楽しさ
鹿島なる●霊のみ剣をこゝろに磨きて行くはこの旅
片敷きて寝る鎧の袖の上に思ひぞつもる越の白雪
かへらじとかねて思へば梓弓なき数に入る名をぞとゞむる
唐国に往き足らはして帰り求む益荒猛夫に御酒たてまつる

  〔キ〕
君がため命死にきと世の人に語り継ぎてよ峰の松風
君がため花と散りにしますらをに見せばやと思ふ御代の春かな
君が代にあへるは誰も嬉しきを花は色にもいでにけるかな
君が代はいはほと共に動かねばくだけてかへれ沖つしら浪
君が代は千代ともさゝじ天の戸やいづる月日のかぎりなければ
君が代はつきじとぞ思ふ神かぜやみもすそ川のすまむ限は
君が代は松の上葉におくつゆのつもりて四方の海となるまで
君が代を思ふ心のひとすぢに吾が身ありともおもはざりけり
君をいのるみちにいそげば神垣にはや時つげて鶏も鳴くなり

  〔ク〕
曇りなき月を見るにも思ふかな明日はかばねの上に照るやと
曇りなきみどりの空を仰ぎても君が八千代をまづ祈るかな

  〔ケ〕
今日よりは顧みなくて大君のしこの御楯と出で立つ吾は

  〔シ〕
しきしまのやまと心を人とはゞ朝日ににほふ山ざくら花
しづたまき数ならぬ身も時を得て天皇がみ為めに死なむとぞ思ふ

  〔ス〕
すめ神の天降りましける日向なる高千穂の嶽やまづ霞むらむ
天皇の御代栄えむと東なるみちのく山に金花咲く
末の世の末の末まで我国はよろづの国にすぐれたる国

  〔タ〕
旅人の宿りせむ野に霜降らば吾が子羽ぐくめ天の鶴群

  〔チ〕
ちはやぶる神の御坂に幣奉り斉ふいのちは母父が為
勅として祈るしるしの神風に寄せくる浪はかつ砕けつゝ
千代ふりし書もしるさず海の国の守りの道は我ひとり見き
千万の軍なりとも言拳せず取りて来ぬべき男とぞ念ふ

  〔ト〕
遠つ祖の身によろひたる緋絨の面影浮ぶ木々のもみぢ葉
鷄の音になほぞおどろく仕ふとて心のたゆむひまはなけれど
取り佩ける太刀の光はものゝふの常に見れどもいやめづらしき

  〔ニ〕
西の海よせくる波も心せよ神の守れるやまと島根ぞ

  〔ハ〕
初春の初日かゞよふ神国の神のみかげをあふげもろもろ
春にあけてまづみる書も天地のはじめの時とよみ出づるかな

  〔ヒ〕
ひとかたに靡きそろひて花すゝき風吹く時ぞみだれざりける

  〔フ〕
富士の嶺に登りて見れば天地はまだいくほどもわかれざりけり
ふみわけよ日本にはあらぬ唐鳥の跡をみるのみ人の道かは
降る雪の自髪までに大皇に仕へまつれば貴くもあるか

  〔マ〕
真木柱ほめて造れる殿のごといませ母刀自面変りせず
ますらをが思ひこめにし一筋は七生かふとも何たわむべき
丈夫の弓上振り起し射つる矢を後見る人は語り継ぐがね

  〔ミ〕
朝廷辺に死ぬべきいのちながらへて帰る旅路の憤ろしも
御民吾生ける験あり天地の栄ゆる時に遇へらく念へば
みちのくのそとなる蝦夷のそとを漕ぐ舟より遠くものをこそ思へ
身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬともとゞめおかまし日本魂
宮柱したつ岩根にしき立てゝつゆも曇らぬ日の御影かな
み山木のその梢とも見えざりし桜は花にあらはれにけり

  〔ム〕
昔たれかゝる桜の花を植ゑて吉野を春の山となしけむ

  〔モ〕
ものゝふの上矢のかぶら一筋に思ふ心は神ぞ知るらむ
ものゝふの兜に立つる鍬形のながめ柏は見れどあかずけり
武夫のたけきかゞみと天の原あふぎ尊め丈夫のとも
武士のやまと心をより合せただひとすぢの大綱にせよ
もろこしも天の下にぞ有りと聞く照る日の本を忘れざらなむ

  〔ヤ〕
やすみしゝわが大君のしきませる御国ゆたかに春は来にけり
やすみしゝわが大王の食国は大倭も此処も同じとぞ念ふ
八束穂の瑞穂の上に千五百秋国の秀見せて照れる月かも
山のごと坂田の稲を抜き積みて君が千歳の初穂にぞ舂く
山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも

  〔ユ〕
行く川の清き流れにおのづから心の水もかよひてぞすむ

  〔ワ〕
わが国はいともたふとし天地の神の祭をまつりごとにて
わが背子はものな思ほし事しあらば火にも水にも吾なけなくに
我を我としろしめすかやすべらぎの玉のみ声のかゝる嬉しさ

  〔ヲ〕
男山今日の行事の畏きも命あればぞをろがみにける
士やも空しかるべき万代に語り継ぐべき名は立てずして

 


愛国百人一首通釈 畢

 


奥付

昭和十八年一月十日 初版印刷
昭和十八年一月十五日 初版発行
        〔一万部発行〕

日本標準規格A6判
不許複製

愛国百人一首通釈
  定価 金弐拾五銭


著者  坂口利夫

発行者 大阪市東淀川区中津浜通五丁目三一番地
    木村清蔵

印刷者 大阪市東淀川区中舂浜通五丁目三番地
    河野大盛舘印刷所
           河野圭之助


発行所 大阪市東淀川区中津浜通五丁目三一番地
    五車書房
        振替大阪三六四九八番
        電話福島(45)三一八九番
        (会員番号一一〇〇六四番)

配給元 日本出版配給株式会社

 

 

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